2004年(平成16年)10月1日号

No.265

銀座一丁目新聞

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追悼録(180)

なくなった先輩後輩を偲ぶ

  毎日新聞の物故社員追悼会(9月21日・毎日新聞東京本社)に参列した。今年あらたに合祀された社員は150柱を数える。80歳近くになると、先輩後輩がぞくぞく亡くなっていくのについつい不義理をかさねる。遺影が掲げられた祭壇に心からに手を合わせ、冥福を祈った。
 思いつくまま故人との交友を綴る。杉山為七さん(90)。私が仕えた5代目の警視庁クラブのキャップであった。国鉄に太い人脈を持っていた。事件記者ではなかった。文句を一切いわず、私たちを自由にしてくれた温厚な紳士であった。うるさいキャップになると、廊下トンビに疲れて警視庁の屋上で休んでいるのを見咎めた方もいる。広報に頼っている今では考えられない話である。
 林勝一さん(72)。彼がパリ支局長の時、ご馳走になり、夜のモンマルトを案内してくれた。帰国後その話をすると仲間たちが驚いた。彼はそんなことを一切しない記者で通っていたからだ。私が論説委員だった頃で、ドイツの都市15ヶ国を廻ったあと最後にパリを訪れた。財布は乏しく食事もままならなかった。ふと思い出したのが林支局長であった。彼が「サンデ―毎日」にいた時「追跡者」シリーズで書いた「高い野菜を追跡する」(昭和35年12月17日号)はすごい記事であった。生産地、市場、小売店、飲食店とその流れを克明に調べ、高い野菜を追及した筆法は好評であった。
 彼が何故私をもてなしてくれたか良くわからない。社会部デスクの時、彼から総選挙のことで電話をもらった。私は電話の応対はぶっきらぼうで彼に好印象を与えたとは思えない。その時、率直にこれからやる社会部の選挙企画をさわりだけ説明した。お互いに変わり者だけにどこか通じあうものがあったのかもしれない。これが縁で夫人の瑞江さんの本を紹介した。人生はあざなえる縄の如くほぐれ、からまり人と人を結び付けはなしてゆく。

(柳 路夫)

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