2004年(平成16年)5月10日号

No.251

銀座一丁目新聞

ホーム
茶説
追悼録
花ある風景
競馬徒然草
安全地帯
お耳を拝借
山と私
GINZA点描
銀座俳句道場
告知板
バックナンバー

 

追悼録(166)

戸川幸夫さんをしのぶ
 

  作家の戸川幸夫さんがなくなった(5月1日、享年92歳)。戸川さんは毎日新聞社会部の先輩である。社会部に一緒に居た期間は8年ほどである。事件記者というよりは学芸タイプの記者であった。温厚で物静かな人柄であった。「大衆文芸」に載った「高安犬物語」(昭和29年12月)が32回直木賞を授賞(昭和30年1月)しているから、この頃は暇を見つけてものを書いていたのだろう。彼が都内版デスクのとき、私は警視庁の記者クラブにいた。そこで同僚の藤野好太郎君(故人)と相談して警視庁の少年課や防犯部で取材できる軟派記事を戸川さんがデスクの日に送るようにした。戸川さんから誉めて もらおうと思ってそうしたのである。その気になれば、警視庁だけでも教育問題、家庭問題など取り上げるテーマはいくらでもあった。彼が都内版デスクを辞めるまで続いた。動機が不純だが、おかげで勉強になった。
 日本の動物文学の第一人者といわれるだけあって動物に注ぐ目は温かである。昭和63年3月、下北半島の取材中、薪材を山と積んだ荷馬車がぬかるみにはまりこんで動けなくなった。びしびしと馬をたたくがどうにもならない。たまりかねた戸川さんが馬方にいった。「まず薪をおろすことだよ。わしらも手伝うからそうしな」馬方はとても大変だといったが、結局薪をおろして馬を救った(戸川幸夫著「下北と都井」より)。
 戸川さんが東京日日新聞に入社したころ(昭和11年3月)の社会部長は小坂新夫さん(のちに下野新聞社長)である。その小坂社会部長をモデルにした映画「駆け出し記者時代」の原作を戸川さんが書いている。筋はおそろしく権柄づくでがむしゃらの部長が峰太郎という駆け出し記者をむやみやたらとこき使うというものである。戸川さんは小坂社会部長にこき使われたらしい。そのうらみつらみ重なる小坂部長をモデルにした。社会部長役は大日方伝で、その色男ぶりに小坂さんは大いに気をよくしたが、この部長、笑顔一つ見せず、部下を怒鳴り散らしてばかりいるので、小坂さんは冷や汗を流して映画も途中で逃げ出してしまったというエピソードが伝わっている。私も小坂部長から40年後に社会部長になったが、部下からみると、常に部長は怖いものらしい。そういう部下には「仕事のできる記者には優しかったよ」と言うことにしている。戸川さんの冥福を心から祈る。

(柳 路夫)

このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。(そのさい発行日記述をお忘れなく)
www@hb-arts。co。jp