二年前に大阪府の池田市の小学校で児童8人が殺され、先生2人を含む15人が重軽傷を負った事件があった。一人の男が学校に闖入、刃物で無差別に児童、先生を切りつけたものであった。考えられない事件である。多少無分別なところがあるが、一応社会人として生活してきた男の犯行であった。このような犯罪は防ぎきれないのではないだろうか。
文部科学省と大阪教育大は安全管理の不備を認めて謝罪し、総額4億を賠償する合意書を遺族とりかわした(6月8日)。遺族の気持ちを考えればこのような措置をするほかないのかとも思う。だが考えてみるがいい。小学校の警備を厳重にするといっても限度がある。企業と違っていちいち校門の前でチェクするわけにもいくまい。「開かれた学校」が強調され地域の人々が学校を訪れる機会が多くなっている。警備の隙はいくらでもできる。確信犯には防ぎようがないと思う。きちんと背広を着て、胸に名札をつけ堂々と正面から入ってくる来客を装った「確信犯人」を止めるのは難しい。
逆説的に言えば、小学校の安全管理の不備は日常的なものである。いくら施設面に重点をおいた防犯対策や危機管理マニュアルを作成しても効果をあげえないであろう。元来小学校は無防備でよいのだ。ここは子供達のすこやかな成長を願い、子供達が学び遊ぶところである。刃物とは無縁の場所である。
必要なことは、先生方に「治にいて乱を忘れず」の心構えを持って欲しいことである。この気持ちさえあれば、不審者にすぐきずき、襲われた際にもすばやく対応できる。被害を未然に防止し、最小限にとどめられる。今の時代はすべてが金で解決できると思い込んでいる。人間の心の持ち様であるのを忘れている。戦後58年、あまりにも平和であ
り過ぎたので、日本人は日頃から「乱」に備える心をどこかへやってしまった。いざという時あわてふため
くだけでなにもしない人間が多くなった。そのつけは大きい。
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