毎日新聞を去って16年になる。今なお毎日新聞が気にかかる。敗戦で茫然自失する一人の士官候補生をジャーナリストとして育ててくれた古巣を忘れられない。恩義を感じている。批判をしたくないが黙っておられない。自分を抑えられない。
毎日新聞カメラマンが起こした「アンマン爆破事故」の毎日新聞の処分は甘すぎる。毎日新聞(5月20日)によると、斉藤明社長「取締役報酬を当分の間、全額返上」、北村正任常務取締役「取締役報酬月額のうち50%を一
カ月、減額」、朝比奈豊編集局長と武田芳明写真部長「役職停止一カ月」の処分である。爆弾で一人を死亡、四人を負傷させた事故は、日本の新聞史上例を見ない不祥事である。この処分でよいのか。このままでは毎日新聞の汚点として歴史に残る。これでは先輩、社員が恥ずかしい思いをする。社長は時期を見てその職を去れと忠告したい。
<新緑や南無阿弥陀仏友迷う> 悠々
考えられない事故である。その意味では毎日新聞にも斉藤社長にも極めて不幸な出来事であった。記者会見の席上「爆発物を拾った行為はあくまでも『記念品』にしようとした個人の行為」と説明した。その通りだと思う。だが、カメラマンは社命で特派されている。会社を出発してから帰社するまで業務であり、会社の監督下におかれる。会社が費用のすべてを負担している。「個人行為」といいながら、その間の個人の行為に対して会社が責任を持たざるをえない。逃げるわけにはいかない。今回の事故の場合、相手側に謝罪をし、慰謝料を出し、事故防止の対策を立て二度とこのような事故を起こさないようにするのが原則である。社長が事態解決のために大いに努力されたのは認める。問題は謝罪の内容である。ヨルダン国王がいくら温情ある理解を示してくれたといえ、責任問題は別である。死者を出した事案は極めて責任重大である。「戦場にいるのを忘れて記念品(爆弾)を拾うような記者」を特派員として出した会社の管理責任が強く問われる。
かって朝日新聞が沖縄のサンゴを傷つけ写真を捏造した事件を起こした(平成元年4月20日夕刊)。事件への対応の拙さもあって読者の非難を浴びたが、写真部長、編集局長が更迭し、社長が辞任している。この事件も新聞ジャーナリズムの責任、倫理性が問われる深刻な問題であった。「アンマン爆発事故」はそれ以上の意味合いを持っている。浅はかな個人の行為といいながら、トップの座にいる者は潔く切腹せざるをえない。あまりにも甘い処分ではこれから起きる事件・事故の批判を毎日新聞は出来まい。公器としての新聞の責任も果せなくなる。毎日新聞は熱きき思いで仕事をしているジャーナリストの集団であることを忘れないで欲しい。覚悟を決められよ。
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