静かなる日々 ─ 老々介護日誌─
(3)
星 瑠璃子
5月18日
手術後3日目、朝7時。母はぱっちりと目を覚ましていて、まだ顔色は戻らないながら、にっこり笑っていう。
「遠いところを悪いわねえ。横浜までじゃ遠くて大変だわ」
「横浜?」
ここ G
病院は中野区にある。私たちの住む練馬区とのちょうど区境いにあり、自宅からは車で20分ほどの距離である。「ここは中野区よ」と何回も繰り返すのだが、これまでに来たことのない場所。それに救急車で運び込まれた病院なので、母の頭にはなかなか入らないらしい。それにしても横浜とは。
体力はしだいに恢復しつつある。ともかく術後1週間を油断なく過ごすこと。それが当面の目標だ。午前10時、待望のお水の許可が出る。昼はうどん少々、ひき肉の煮たもの、フキとナスの炊き合わせ、ホウレンソウとお豆腐の和え物など。手術後初めての食事を、美味しい美味しいと食べる。スプーン1杯づつゆっくりと母の口に運ぶ。栄養剤の点滴はここ数日続けるというが、口から食べられれば体力はどんどん回復するだろう。
安心していったん家へ戻り、午後また行く。 両側に病室の並ぶ整形外科病棟の長い廊下を歩いていると、ほとんどの部屋のドアが明け放たれていて、のぞくつもりはなくても内部が見える。老人が圧倒的に多い。入れ歯をはずしているのか、口をあいて寝ている顔は、どの老人もよく似ている。この人たちがみんな骨折なんだろうか。
と、廊下の中ほど、母の病室の入り口近くで大きな声が聞こえた。慌てて飛び込むと、
「どなたか、ウナギ屋さんに電話をして下さいませんか。みんなでいただきましょう」
と母が妙な声で叫んでいる。
「どうしたの? ここは病院よ。さっきまで酸素吸入をしていたのよ」
と言うと、
「泉水ではないの?」
とキョトンとしている。
「泉水?」
今度は料理屋かなにかと錯覚している。意識が混濁している。麻酔の後遺症なのだろうか。
夜、親友Kから電話。彼女は忙しい仕事の合間を縫って、入院の翌日にはもう宇都宮から駆けつけてくれたひと。それから毎晩のように電話をくれるのである。意識の混濁のことを話すと、「それは一時的なことよ。必ずお治りになるわ」と元気づけてくれる。彼女の父上も手術後にはそういうことがいろいろあって、だれにも言えずにたいそう心配した、という。少し安心して眠る。
5月19日
抗生物質の点滴はあと1週間ほど続けるらしい。すぐに管を外してしまうので、ずっとそばについていなくてはならない。さもないと、またベッドにしばられてしまう。これが「完全看護」というものなのだろうか。心配で、病院には朝、昼、夕と一日三回行く。
母がうとうとしているベッドサイドで、俵孝太郎の『どこまで続くヌカルミぞー老老介護奮戦記』を読む。介護する側とされる側の間に起きる葛藤、さらには介護する肉親間の争いを書いた本だ。
俵は自分の両親と二人の妹を「四人組」と呼ぶ。中国の「文化大革命」期に暴威を振るった同名のグループに因んだ命名で、首魁の江青に相当するのが介護される母親だ。俵の筆によれば、そこでは次のような戦いが繰り広げられるのである。
「我がままで、自己中心的で、周囲の都合や気持ちなどまったく歯牙にもかけず自分勝手な要求を押し通そうとする母親は、その時々に戦術を立てては陰で糸を引き、妹と父親が表に立って攻めて来る」
微に入り細に渡って描かれるその様子はあまりにも凄まじく、むしろ笑ってしまうほどだったが、こういう話は一見荒唐無稽のようでいて、現実によくある話なのかもしれない。舛添要一の『母に繦(むつき)をあてるとき』も、母親の介護をめぐっての実の姉との壮絶な攻防を綴ったものだった。笑い事ではないのである。
振り返ってわが兄姉にも一人だけ地雷のような姉がいて、うっかり触ったり踏んだりしようものなら大怪我をする。今度の母の入院でも、姉は手術当日の病院に「手術不要」と電話をかけて一悶着起こしたのだった。
「ひとくちに超高齢者を高齢者が支える時代といっても、実態はさまざまである。中には、支えるべき立場にあるものがよく連絡をとりあい、負担を分かちあうケースもあるだろう。しかし、そうしたケースはむしろ異例なのではないか。キレイ事に包んだ責任逃れから義務は無視して権利だけを主張する利害打算まで、人間社会にはつきもののドロドロした姿が渦まいているのが、ふつうであるに違いない」(『どこまで続くヌカルミぞ』)
「超高齢者の面倒を見る主体は、多くの場合、つまるところ一つである。他にだれもいなければ仕方ないが、複数の子がいる場合でも、経済的、労力的、心理的負担は、現に面倒を見ている一か所だけに集中する。負担が集中すれば、ストレスもたまるし破たんも起きやすくなる。介護する高齢者の側も確実にトシをとっていくのだから、長びけば長びくほど、経済力も気力も体力も忍耐力も衰えてくる。介護する側が介護される超高齢者より先に病に倒れる可能性も、当然のこととして高くなってくる」(同前)
わが家もご多分にもれぬ高齢社会。この先どんな事態が起きるか分からぬが、柔らかな心で対処していきたいものと思う。
上の兄、下の兄夫婦が毎日のように見舞ってくれる。長兄は自身胃ガンの手術をしてまだ日が浅いというのに。 |