2003年(平成15年)4月10日号

No.212

銀座一丁目新聞

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茶説

子守唄を歌い継ごう

牧念人 悠々

 今の若者は子守唄を知っているのであろうか。筆者はそらんじている。
 ねんねんころりよ/おころりよ/坊やはよい子だねんねしな/坊やのおもりは/どこへ行った/あの山越えて里越えて/里の土産になにもろた/でんでん太鼓に鉦の笛/起き上がり子法師に犬張子/それもやるからねんねしな
 いまはなき母親から赤ん坊のとき、聞かされたものである。全国的に類歌がある。起源ははっきりしないが、この歌は江戸の中期頃から歌われたそうである。近松門左衛門(1653ー1724)の書き物に子守唄の文句があるという。
 評論家、西舘好子さんが、日本の子守唄をはやらせようと努力をしている。そのきっかけは、ニ年前に起きた母子心中未遂事件である。死のうと思って三歳の娘を連れて樹海に入ったが、死にきれず、娘を置いて森を抜け出してしまった。二日後女の子は遺体で見つかった。刑事がぽつんと言った。「まだ子守唄を聞いて眠る年頃なのに」。子守唄は母と子供の会話であり、絆を深めるものである。
 日本は高度成長するとともに、子守唄を忘れてしまった。赤ん坊はその歌を母親から聞かなくなった。「子守唄は母親の魂の唄、母性回復の唄、そして平和の唄」(ギターリスト、原壮介さんの言葉)とすれば、母親の魂の唄を聞かなくなった子供達はその成長過程で何らかの支障をきたす恐れがある。歌うのを忘れた母親達は母性を失いかねない。昨今の赤ん坊への虐待、放置など子供をめぐる事件が起きているのは、子守唄の喪失と無縁ではなさそうである。
 西舘さんの話によれば、子守唄は全国に二千も三千もあるという。かならずしも寝かせるだけのものでもないらしい。「ねないと、ネズミのひかせっと、起きるとおきん(おきり火)中へたたきこむぞ」などと脅し唄もある。またこんな唄もある。「ねんねしろ/ねんねしろ/ねんこしろ/ねんこしねぇと山のクマめに/くわれっちゃー/ねろっちば/ねねえのか/このがきめ」
 もともと子守りは貧しい農家の娘達がくちべらしのために地主や商家へ無報酬で預けられた。子守りだけでなく家事の手伝いからお使いまでやらされた。その鬱憤を赤ん坊に吐き出しても不思議ではない。子守りにとっては労働歌でもあった。原型は江戸子守唄である。
 3月30日江戸東京博物館ホールで開いた「江戸の子守唄孝」は「今なぜ子守唄か」を考えさせてくれたよい企画であった。

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