安全地帯(42)
−従軍記者の戦死に思う−
−信濃 太郎−
イラク戦争で従軍記者たちが戦死している。バグダットでロイターのカメラマンやテレビ局の記者があいつでミサイルと戦車砲で命を落とした。戦場は錯誤の連続である。理屈がまかり通る所ではない。
新 聞記者、カメラマンは前線に近ければ近いほど特種やよい写真、テレビ映像が撮れる。ベトナム戦争の報道で1966年度のプュリッツァー賞を受賞したピーター・アーネットは「ボクは最初からここにいた。最後までここにいるだけの危険を冒す価値があると思った」といっている。ベトナム戦争の最後を告げるサイゴン陥落の際、アーネット記者はサイゴンにふみとどまった三人のアメリカ記者の一人であった。毎日新聞では古森義久記者(現産経新聞)升岡忠敏記者が残り、特種を連日報道した。
イラク戦争では日本の大新聞の記者や大テレビ会社の記者たちは全員バクダットから退避した。社命に従ったのである。第二次大戦の昭和20年4月23日、ベルリンがソ連軍の前に陥落したとき、ベルリンに踏みとどまった記者は朝日新聞の守山義雄記者ただ一人であった。名文家の守山記者はソ連軍、ベルリン入城の記事を書きまくった。新聞の仕事には社命に背いてまでも情熱を掻き立てるものがある。命を取るか仕事をとるかといえば、答えは簡単に出てこない。だがいえるのは、戦争の転換点で、現場にとどまってきたのは名記者だけであったという歴史的事実である。 |