2003年(平成15年)2月10日号

No.206

銀座一丁目新聞

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追悼録(121)

 日本テレビの名プロデュサーであった池田文雄さんがなくなった(1月23日、享年69歳)。その偉大さは噂だけしか知らない。関係がないわけではなかった。毎日新聞の社会部長時代(昭和51年3月から52年4月) 牧太郎記者が連載した「芸能界ウラのウラ」の取材に大変協力をして頂いた。
 牧さんはホームページ「編集長ヘッドライン日記」(平成15年1月23日)で次のように書いている。「僕にとって出世作になった『芸能界ウラのウラ』の取材で何度も厄介になった。当時、池ブンさんは『天皇』と言われていた。・・・元々、事件記者だった僕は、はじめて芸能界という特殊部落?を取材したので戸惑った。でも怖いモノ見たさにで、常識に捕らわれず平気で『天皇』を直接取材してしまった。先輩の芸能記者ににらまれたものだ」牧さんは池田さんのことを記憶に残る数少ない人物の一人だと誉めている。
 このコラム連載には思い出がある。ロッキード事件が一段落ついた52年1月ごろ、遊軍記者だった牧記者から『芸能界をやりたい』といってきた。この企画は前にも出したが没になったという。聞くと話は面白い。ニュースには定義がない。『社会部長がこれはニュースになる』というものがニュースである。彼の話によると、51年の大晦日、都はるみのレコード大賞授賞式が行われる帝国劇場に取材にいって、芸能界の表の顔と裏の顔をかいまみたことがヒントになった。また警視庁記者クラブ時代芸能プロダクションに絡む事件の取材もしているので是非やりたい仕事だという。連載を始めると大好評であった。「鈍行歌手」や「・・・ウラのウラ」という言葉が流行った。この企画から26年たつ。スポーツ紙でこれに優る記事が少ないのは残念である。ニュースはどこにも落ちている。

(柳 路夫)

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