対談にしても、座談会や討論会にしても、話し手を巧にリードして知りたい情報を引き出し、紡いでいく聞き手の存在が実に大きいが、これも一つの才能ではないだろうか。
この才能を有している人は、周囲にもいて、実に巧に、でもそうとは感じさせずに、普段の世間話の延長で気が付くとすっかりベールを剥がされてしまっていたりする。でも決して悪い気がしないのは、悪意ではなく、好奇心のなせる技だからだろう。
私も御多分に漏れず人一倍好奇心が旺盛で、知りたがり屋の割には、人から話を引き出すのは得手ではなく、相槌を打つ只の聞き役に回ってしまう。どこが違うのか、と考えてみるに、もう一歩の突っ込みが足らないことに気が付いた。こんなこと聞いては・・・と、相手が敢えて語らないことは聞かないでおこう、という変な遠慮が働いてしまうのだ。
要するに聞き手としての才能が乏しい、ということだろう。
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