1999年(平成11年)3月1日

No.67

銀座一丁目新聞

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映画紹介

コメディ・フランセーズ 
 ―演じられた愛―

otake.jpg (8731 バイト)大竹 洋子

監督・編集・録音 レデリック・ワイズマン
撮 影 ジョン・デイヴィ
舞台録音 ティエリー・ジャンドローズほか
出 演 コメディ・フランセーズの正座員、準座員、スタッフなど
配 給 セテラ・インターナショナル

1996年/フランス映画/ドキュメンタリー/カラー/モノラル/16ミリ/223分

 フランス人というのはなんとよくしゃべる人たちか。映画をみている間じゅう私はそう思っていた。そして、そこに登場する人々のようによく話すフランス人の友人や、フランスで長く暮らした日本人の顔を思う浮かべ、やっぱりそうかと妙に納得したのである。

 アメリカの高名な記録映画作家、フレデリック・ワイズマンの長編ドキュメンタリー、「コメディ・フランセーズ―演じられた愛―」をみた。コメディ・フランセーズは、世界でもっとも長い歴史をもつフランスの国立劇団である。喜劇の王様と呼ばれるモリエールが没したあとの1680年に、ルイ14世の命によって設立された。モリエールに敬意を表して、亡きモリエールを初代座長とし、別名を“モリエールの家”という。

 現在のコメディ・フランセーズの本拠地はパリ1区のパレ・ロワイヤルにあって、周辺の通りにもホテルにも、モリエールの名前がつけられている。カメラは劇場の外観、周囲の様子をはさみながら、舞台、稽古、楽屋風景、裏方たちの仕事ぶり、座員で構成される理事会での決定、俳優のミーティングなどを、同じ比重で、作る側の感情をまじえることなく把えてゆく。撮影許可がおりるまでの3ヵ月間、ワイズマン監督は毎日劇団に通ったので、メンバーたちとすかっり顔馴染みになったそうだから、そのことも出演者たちに、カメラを意識させない大きな要因になったであろう。

 私は個人的な思い入れがあって、アンジェイ・セヴェリンの動きに目をこらした。セヴェリンはポーランド出身で、アンジェイ・ワイダ監督のお気に入りの俳優だった。「約束の土地」や「コンダクター」で若々しく闊達な演技をみせていたが、〈連帯〉が非合法になった頃に祖国を離れ、フランスで演劇活動を開始した。ワルシャワ演劇大学の卒業生の彼もまた、舞台の魅力にとりつかれた人間の一人らしい。

 映画の中でセヴェリンはドン・ジュアンを演じる。誰もいない劇場の舞台で、一人稽古に余念のないセヴェリンが写し出される。母国語ではないフランス語を克服するための真剣勝負がつづく。化粧前でも、従者スガナル役の名優、ロラン・ベルタンに相手をしてもらい、念押しの稽古が行われる。そして舞台の成功。

 そのロラン・ベルタンが、他の俳優たちを向こうに、ひとことの台詞について大議論を展開するところも興味深かった。ことばの解釈について延々と述べるのである。俳優たちが安易に同意しても面白くないし、誰かが同じことをいっていたと聞けば、もっと面白くない。要するに、自分が他人とは違うことを如何に証明するかが大切なのである。これは多かれ少なかれフランス人の特性であろう。そういう意味でも、この作品はコメディ・フランセーズについての記録映画であると同時に、フランス人についての考察でもあるのだ。

 理事会で年長の女優が、引退した老俳優たちの眼鏡と入れ歯と電話代は国家が負担せよ、と発言する。それが当然だと主張する場面では半ば感心し、半ば笑ってしまった。カトリーヌ・サミー、劇団の最古参にして座長、役柄としては、ラシースの「ラ・テバイッド」でジョカストを演じるが、さすがに朗々とした台詞回しである。

 裏方の人々の描写も忘れ難い。衣裳をつくる人の表情には、フランスのファッションの伝統がうかがえるし、黙々とドレスの縁飾りにコテをあてる女性の、果て知れぬ労働に感動もした。だが、これらの人々と俳優たちとの交流が描かれることはない。

 長いあいだ、アメリカ社会に関する問題提起を行ってきたワイズマン監督にとって、コメディ・フランセーズが繰り広げる世界は全く異なる文化圏だったと思われる。しかし、彼は主観を一切はさむことなく、事実のみを淡々と写し取り、ナレーションも音楽もなしに仕上げるという方法に徹した。その結果、個々の場面やエピソードはそれぞれに強く心に残るが、作品全体の印象については、一人一人の観客にゆだねられたのである。

渋谷ユーロスペース(03−3461−0211)で上映中

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