2002年(平成14年)11月20日号

No.198

銀座一丁目新聞

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追悼録(113)

 「新老人運動」を呼びかけている医師の日野原重明さん(91)は「病んでこそ知る 老いてこそ始まる」(高野悦子共著・岩波書店)の中で「音楽で患者さんの最後を見送る」と体験談を語っている。「銀座一丁目書店」の店主書評で筆者は「リストのピアノ協奏曲 第一番 変ホ長調を聞きながら死にたい。贅沢な望みであろうか」と書いた。
 暇があると、ふじ子・ヘミングがミュンヘン交響楽団(指揮ヘイコ・マティアス・フォルシュターン)と共演のリストの第一番のCDを聞いているからである。ふじ子さんは日本人のピアニストの母と画家・建築家のロシア系スエーデン人の間に生まれた。芸大を出た後ユーロッパで演奏活動をし、名声を博し、ドイツの新聞では「ショパンとリストを弾く為に生まれた」と絶賛された。この曲を聴くと心が休まる。第一楽章から第四楽章まで20分40秒ある。いつも第ニ楽章に聞きほれる。哀愁に満ちた調べは琴線に触れる。いずれ彼女の生の演奏を聞きたいものである。
 この曲はリスト38歳の作である。実際のスケッチは既に19歳のときに書かれていたという。ピアノ協奏曲二番とともに彼の作品のなかでも傑出したものといわれる。筆者は38歳のときは毎日新聞大阪本社の社会部のデスクで、社会面の紙面づくに汗水をたらしていた。この人には名曲「ハンガリー狂詩曲」もある。芸術は誠に長い。いくたのピアノ曲、交響曲、交響詩曲など優れた作品を残している。多情多感で大恋愛を三回も経験している。祖国ハンガリーのために何回となく慈善演奏会を開き、その収益金をすべて貧民に寄付している。また授業料を取らずにたくさんの後輩を育成した。
 交響詩「前奏曲」の楽譜の巻頭序文には「人生には死から響いてくる一番厳粛な音がある・・・」とあるそうだ。1886年、75歳でこの世を去った。

(柳 路夫)

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