2002年(平成14年)11月20日号

No.198

銀座一丁目新聞

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安全地帯(28)

−良寛さまと女性−

−信濃 太郎−

 毎日新聞の書評欄のコラム(11月17日)によると、「大法輪」11月号が良寛さまの特集を組んでいるという。良寛の最後を看取った貞心尼とは清らかな「心友」であったとある。貞心尼が良寛をはじめて訪ねたのは1826年(文政9年)秋である。69歳の良寛は越後・島崎村の木村元右衛門邸の離れで臥せっていた。貞心尼は29歳であった。5年後に死ぬ良寛を最後までこの木村邸で看護を尽くした。
 良寛は辞世の歌として「形見とて 何か残さん 春は花 山ほととぎす 秋はもみじ葉」を残している。この歌を相愛の仲であった山田屋のおよしに与えたともいわれている(柳田聖山著「良寛」・NHKライブラリーより)。
 良寛には子供たちと遊ぶやさしいイメージもあれば、清貧で無欲であったという印象もある。その回りに女性の姿があったとしても、良寛の値打ちが下がるものでもない。「草庵雪夜の作」は幾度読み返してもよい。「首を回らせば七十有余年/人間の是非、看破に飽く/往来の跡は幽なり、深夜の雪/一の線香、古匆の下」
 芭蕉にも若いときに愛した女性がいた。尼寿貞という。芭蕉庵でなくなっている(元禄7年6月)。その死を聞いて芭蕉は7月15日の盆会に「数ならぬ身とな思ひそ玉祭」の一句を手向けている(樋口清之著史実「江戸」<一>芳賀書店)。一茶は52歳のとき24歳年下の娘、菊と結婚、「五十婿あたまをかくす扇かな」と詠んだ。この一茶には「痩蛙負けるな一茶ここにあり」や「やれ打つな蝿が手を摺り足をする」の句がある。
 男と女の間柄は千差万別である。句にその人の人柄が出るように女性との付き合いにも人がでる。それぞれの句に味わいがあるのはさすがだと思う。   

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