「履きたければ履けばいいじゃないの」
未だかって一度も赤い靴を履いたことがないと言う私に、娘は事も無げに笑って言う。女の子がいると赤やピンクは避けてきた色である。同年輩が真っ赤なレインコートやハイヒールを履いているのを横目で見て過ごしてきた。
孫のいる今となって何も今更と思いながらも、身内にくすぶり続けるものがあったのだろう、いつもの履き慣れている黒のバックスキンを買い替えようとして、同じメーカーで赤が入荷しているのを目ざとく見つけた。やや抑えた赤い色で、縁取りと紐が表皮になっている。これならタウンシューズとして気軽に履けるかもしれない、履き心地を試してから買い求めた。
次の日、さっそくオニューを履いて玄関を出た。明るい日差しの中に踏み出すと、足元がヤケに目立つような気がする。思わず後戻りをして鏡に前に立ち、片方だけ黒い靴を履いて見る。やはり黒い方がシックリする。その日は黒を履いて外出した。
「いい色じゃないの、勿体無い!」
いつ来ても履かないまま靴箱に並べてある赤い靴を見て、娘は呆れたように言う。サイズさえ合えばとっくに持ち帰って履いているだろう。娘に言われるまでもなく、勿体無いと思う気持ちは日増しに強くなっている。
そうだ、ちょっと試してみよう、どうせ飾ってあるんだから。思い立つとすぐ行動に移すのが私の長所、否、悪いくせか。使い古したハンドバックや色の醒めた靴ならまだしも、新品の靴を染め替えようというのだから。誰かそばにいたら止められていたに違いない。
誰もいないことを幸いに、先ず黒のマジックで縁を取り、黒の靴クリームをベタリと塗りつけてしまってから「シマッタ!」と気がついた。これでは折角のバックスキンの風合いがなくなってしまう、スプレー式のものにすればよかった。でも、もう塗ってしまったのだから後の祭り。ええぃままよ、とばかりこすりつけ、トリミングと紐の部分だけ赤を生かして出来上がり。まあ上等、上等。
次の日、地方へ出かけるのに履いてみる。履き心地はもともとよい靴なので問題はないが、色落ちしてないかと時どき気になるのが難点。履いているうちに擦り合わした部分が僅かに地の色が見えると気になるが、内側なので人目に分るほどではなく、ましてや塗りつぶした赤い靴だなんて誰が想像するだろうか。
こんな突拍子もないことをやるのは私ぐらいなものだろう、でも広い世の中のこと、どこかで同じようなことをしている人もいるやも知れない、そう思ったら急に楽しくなって足取りも軽くなった。
「バカみたい、それなら初めから黒を買えばいいのに」
信じられない、と言うように呆れ顔の娘。
これでいいのよ、これで。
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