2002年(平成14年)4月20日号

No.177

銀座一丁目新聞

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追悼録(92)

 俳句を昨年4月からはじめたばかりなので、安東次男の「其句其人」(ふらんす堂文庫)が手元から離せない。安東さんは博学であり、文章も凄い。もちろん、すぐれた詩人、評論家である。

 世にまじり立たなんとして朝寝かな   松本たかし

「立たなんとして」と作った中七の矯め方と、「朝寝かな」と留めた俳の利かせ様がうまいと、評する。「立たんとする」までは誰でも思いつくであろう。「なん」が出てこない。ん、ん・・・俳句は難しい。
 この本の冒頭の句は飯田蛇笏である。

 はつ汐にものゝ屑なる漁舟かな

 「陰暦8月15日の満潮時に出漁する小舟を『ものヽ屑なる』とはよくぞ言ったもの」と感心すると共に、この句が蛇笏24歳の作と知って恐ろしい男だと思ったそうだ。筆者などにはこのような表現は到底出てこない。蛇笏の句をつづける。

 なやらふやこの国破るをみなこえ

 昭和22年の句である。敗戦の山河を詠んでこの句の右に出るものを私は知らないとまで言っている。

 湯豆腐やいのちのはてのうすあかり   久保田万太郎

 「家を棄てて、赤坂で或女との同棲生活に入ったのが六十八歳の時だが、七十三歳でそのひとの死に遇う。虚脱喪心の日々のなかの吟である」なかなか物知りである。「煮えてきた豆腐の踊るさまが、輪廻となって、目に見えるような句だ」と評する。俳句はものに己の気持ちを託すというが、こんなに深く観察されては万太郎も苦笑するばかりであろう。

 愁いつヽ岡にのぼれば花いばら    蕪村

 解説するのに王維(盛唐の詩人・701−761)が出てきたり、晩唐の詩人、李商隠(812―858)の五言絶句が引用されたりする。古典の素養が豊かである。読めば読むほど、己の不勉強さを恥じ入るばかりである。生涯勉学である。

 その安東さんが4月9日なくなった。死亡記事には俳諧やフランス文学への豊かな知識を背景に戦後詩壇に独自な世界を確立したとあった。享年82歳であった。

(柳 路夫)

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