2002年(平成14年)1月20日号

No.168

銀座一丁目新聞

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花ある風景(82)

 並木 徹

 友人の山田隆三君が編集している自由民主党機関「自由民主」新年号が送られてきた。一面は小泉総理と白川英樹、野依良治ノーベル賞博士との鼎談である。一般紙が載せてもよいほどの良い企画である。読み応えがする。
 その中で、分子の「右」と「左」をテーマに研究している野依博士の発言にすいつけられた。40年前の「サリドマイド事件」について触れられているからである。右のサリドマイドは優秀なトランキライザー(催眠・睡眠・鎮痛剤)になるけれども、左にある催奇形性によって世界中に多くの被害児がうまれた(日本では308人を出した)。本来なら右と左をきちんと分けて医薬品として販売しなければいけなかった。今では右と左を分ける技術があるが、当時はまだなかった。博士たちの努力によって右なら右、左なら左だけを作ることに成功された。これを「不斉合成反応」というのである。これで「不斉合成反応」という言葉がよく理解できた。
 サリドマイド児では忘れられない思い出がある。昭和56年10月頃だと記憶する。毎日新聞の北九州版の一面に「サリドマイドの少女が職を探している」という記事が掲載された。西部本社代表だった私は、総務部長に「人ごとのように言わないで、この少女を毎日で採用したらどうか」と指示した。少女は電話交換手であれば、両足を使ってできる。そのころ企業は電話交換業務を自動化しており、電話交換手を必要としなくなっていた。採用する企業は限られてくる。しかも、サリドマイド児ともなれば敬遠されるのは当然である。
 総務部長がきていう。「足手まといになるので職場(全員女性)が反対しています」。私は職場班長を呼んで「サリドマイドの少女を扱った映画『いま典子は』を見て来い。それでも反対するなら、納得する」と伝えた。
 偶然にも、役員会議で上京したさい、この映画を見たばかりである。松山善三監督・辻典子主演のドキュメンタリー映画に私は泣きっ放しであった。
 数日後、班長は『全員で彼女を守り立ててやってゆきます』と返事してくれた。職場の女性たちはよく面倒を見てくれた。彼女の採用をRKBがテレビで報道、話題となった。彼女も両足で電話の交換業務を支障なくこなした。
 サリドマイド少女の名は永松玲子という。毎日で電話交換業務がなくなった後も、総務部で明るく元気でいまなお、仕事に励んでいる。あれから20年もたつ。そういえば、五体満足の社員の一人が、けなげに働く永松さんの姿を見ると、怠け心が吹っ飛びますよと言っていたのを思い出す。

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