小さな丘の上に立ち、彼と彼女は、あてもなく東の空を眺めている。横浜の町は闇の静けさに包まれたままだ。二人は、一年の初めの日に、夜が明ける瞬間を待っている。
「なんで、黙ったままなんだ?」
「ごめんなさい」
「なんで、謝るんだ?」
「黙っていたいから・・・、ごめんなさい」
「言いたいことがあるなら言えよ」
「黙っていたいって言ってるのに、言いたいことがあるって、なんでそう思うの?」
「だって、黙ってる時は、いつも最後に爆発するでしょ。文句がこんなにあったのか、ってくらいに」
「文句じゃないです。悪口です」
「・・・だから、言いたいことは言えよ」
「言わない」
「言えってば」
「言えないよ」
「なんで、言えないの?」
「あなたの悪口を言うんだよ?きっと怒るもの」
「怒らない」
「そう言って、いつも怒るもの。それに、言い出したら爆発しそうです」
「なら、よっぽど早く言った方がいいよ。そうしろって」
「そうかな?」
「そうだよ。だから、思い切って言えってば」
「それなら・・・、今から、私は、あなたの悪口を言います。いいですか?」
「あ、ちょっと待って」
彼は、彼女の手を取って、つないだ。
「どうして、手をつなぐの?」
「いいんだ、つなぐんだ」
「もしかしたら、ケンカになるかもしれないのに?」
「だから、つなぐんだ」
「手をつないでケンカしないよ?ふつうは」
「いいんだ、ふつうじゃなくても」
「はい・・・。では、いいですか?」
今度は、彼女が、つないだ手をぎゅっと握りしめた。
「あ、今、ぎゅっと握っただろ?」
彼の言葉に、彼女は鼻白んでしまう。
「だめ?」
「悪口言うって時に手を握り返さないよ、ふつうは」
「うるさいな、もう・・・。いいんです、ふつうじゃなくて」
「それで?早く言えよ、俺の悪口」
空が白み始め、遠くの地平線に山の端が浮かび上がる。焼けるように赤い太陽が地球を照らし出し、二人は、じりじりと昇っていく円い大きい姿に圧倒される。
「今年も、良い年でありますように」
彼が慌てて言った。続けて、彼女も言った。
「今年は、彼の悪口を言いませんように」
二人は、互いの言葉を追いながら、願いを重ねた。
「悪口は少しずつ言ってくれますように」
「悪口を言われても平然としているところが直りますように」
「平然となんかしていないですが、直す気はありませんと、彼女が分かってくれますように」
「ケンカになりませんように」
「ケンカしても、つないだ手を離すことはないように」
ランドマークタワーの先端をまとう霞が、朝の日差しに溶けていく。銀色のビル群に反射して輝く陽光が、飛沫のように散りばめられる。
「心の手は、両方つないでいるように」
彼女の願いに、彼が首をかしげた。
「どういうこと?」
「両手をつないで向き合っていれば、まぁるい心になれるのです。気持ちがゆたかになって・・・円満です」
彼女の言葉に、今年最初の二人の難局を切り抜けたと感じた彼は安堵した。と同時に、彼女に対して、なんだか意地悪なことを言いたくなった。
「それで?早く言えよ、俺の悪口」
「ほら、また、そうやって・・・」
彼女は大分むっとしたけれど、つないだ手は離さないようにした。
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