2002年(平成14年)1月1日号

No.166

銀座一丁目新聞

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追悼録(81)

 「イエスの方船」の千石剛賢さんがなくなった(平成13年12月11日)。享年78歳であった。「イエスの方船」にはいろいろな思い出がある。いまだから書ける話もある。この集団は邪教集団ではないと紙面展開した「サンデー毎日」が警察と対立しただけに、編集部が犯人隠匿罪の訴追を受けかねない状況までになった。当時私は出版担当役員で出版局長を兼務していた。この時ほど弁護士の存在の重要性を知った事はない。
 警視庁から名誉毀損と暴力行為などで手配されていた「イエスの方船」が昭和55年6月、好意的な「サンデー毎日」を頼って福岡から上京、彼等を熱海の製本会社の社員寮に一時かくまった。そこで、万一に備えて、弁護士を頼むことになった。何故かこのとき、私の頭に浮かんだのは、帝銀事件を担当した東京地検特捜部の検事だった高木一弁護士の名前であった。一面識も無い高木さんのところへ電話した。「何故私の名前を知っているのか」と質問された。「帝銀事件のとき、私は池袋方面の警察担当の記者で、そのころからあなたの名前を知っている」と答えると「判った」と引き受けてくれた。帝銀事件は昭和23年1月起きているから32年前になる。この間、高木さんは熊本、千葉の検事正を勤め、最高検検事までなっている。当時69歳であった。古い事件を持ち出されてびっくりされたのかもしれない。この事件は、帝国銀行椎名町支店で行員12名を青酸カリで毒殺、現金を奪取する戦後の大事件であった。8月に画家の平沢貞通が逮捕され、昭和30年5月死刑が確定、昭和63年5月平沢が獄死するという経緯をたどる。高木さんにとっても忘れことの出来ない事件だったと思う。
 高木弁護士のおかげで千石さんは任意の取調べですみ、逮捕状が出た他の4人もなにごともなかった(正しくは一人が外国人登録令違反で罰金8000円を受けた)。また、「サンデー毎日」が逮捕状の出ている千石ら5人を16日間もかくまっていながら、犯人隠匿罪に問われなかった。後で聞くと、高木弁護士は警視庁とは折り合いの大変よい方であった。下世話な言い方をすると、警視庁に顔のきく弁護士であったという。担当の防犯部の刑事が「なぜサンデー毎日は高木さんに頼んだのだ」とこぼしていたそうだ。
 さらに後日談がある。高木弁護士は毎日新聞からの謝礼をすべて千石さんの医療代に寄付された。誰にも出来る事ではない。
 私の机の上には「イエスの方船」から送られた本立てがある。それには「復活(よみがえり)は信仰による」「人生のすばらしさは復活(よみがえり)にある」と記されてある。

(柳 路夫)

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