2002年(平成14年)1月1日号

No.166

銀座一丁目新聞

ホーム
茶説
追悼録
花ある風景
横浜便り
水戸育児便り
お耳を拝借
銀座俳句道場
告知板
バックナンバー

お耳を拝借(35)

-お年玉

芹澤 かずこ

 

 「おめでとうございます」
その昔、私も集金ノートを手に、雨が降ろうが雪になろうがせっせと親戚回りをして、お年玉を集めた覚えがあります。たとえそれが打算的な目的にせよ、1年に1度ぐらい威儀を正して年頭の挨拶をするのも、けじめがあっていいものです。
 夫に先立たれ、それまですべて夫任せであったお年玉を自分が代わって出す番になって、さてどうしたものかと思いあぐねました。
と言いますのは、夫は非常に型破りな方法を取っていたからなのです。
 日頃から外出する時には小銭入れに100円玉と10円玉で550円だけ持ち、残りの小銭は専用の缶にジャラジャラと入れ、5百円札や5千円札も間違いやすくて厭だと言って、これも缶の中。毎日のことなので、これが積もり積もって結構いい金額になるのです。
これを使ってつかみ取りをやらせたり、総額を当てさせて近い順から賞金制にしたりしました。この時ばかりは、子供たちより親の方が真剣にコーチをしたりします。また、満年令を申告させて、その年令に500円を掛けたりしました。
 「本当に7歳か? 生年月日を言ってみろ、うん、間違いなさそうだ」
 「そうか、もう16か。シッカリ勉強するんだぞ」
この年令制は普段忘れかけている 親戚や弟子の子供たちの年令を再確認することができ、会話にも事欠くことがなくて、なかなか好評でした。
 お年玉は弟子の奥さんたちにも出していました。私も若い頃、夫の師匠から頂いて嬉しかったものです。でも、夫が生きていた時と同じような付き合い方はとてもできません。そこで大人のお年玉はやめて、その代わりにちょっとした小物を贈ることにしました。また、子供たちの方も上限を決めて、年令や学年によって金額を決めることにしました。
 それにしても昨今のお年玉は額が多く、その多額のお年玉を一体何に使うのでしょう。「全部貯金する」というのを聞いたことがあります。欲しい物はクリスマスだ、誕生日だと親に買ってもらい、毎月のお小遣いも十分で、特に買う物がない様子です。今の子供たちは恵まれている、とそれだけで片付けてしまっていいものでしょうか。
 私が子育てをしている頃、うちの子供たちからよくケチだと言われていました。
 「よそのお母さんは、自転車だって何だって大きな物はみな買ってくれるんだって。お年玉やお小遣いをためて自分で買いなさいなんて言うお母さんはいないよ!」
 と小さな口をとがらせて言っていました。
 でも、子供は親から買い与えられた物より、自分の大切なお金で買った物の方が宝物として大事に取り扱うだろう、と思ったのです。
 それにお金というものは、自分で使ってみてはじめて真価の出るもの。大枚のお金を使う不安の中に、安易に選んでは大変だという選択の目も自ずとできてくると思うのです。何が自分にとって一番必要かを考えさせるには、人が買い与えていては駄目だと思ったわけです。 
 自分の物を自分のお金で買うのですから、こちらは余計な口出しは一切しません。その代わり、助言を求められれば勿論喜んで相談に乗ります。いざ買うことに決めて、お金を支払う時は一緒に行き、保証やサービスなど子供では聞き漏らしてしまうことなどを聞いてきます。そして、お金が少し足りなくて買えないでいる付属品などを補充してあげる程度にとどめておきます。
 小さい頃からのこの習慣が効を奏して、子供たちは欲しい物があるとアルバイトに精を出して自分で買い求めました。車も然り。但し、この車の時だけ、頭金の一部を援助して、残金を先払いして毎月分割で返済をさせました。この返済の取立てが厳しいと言って息子たちはボヤいていました。でも、金銭の貸し借りはたとえ親子でもキッチリするのが当り前! 残金を先払いしなければ倍以上の利息を取られたわけですから。
 その子供たちもそれぞれ所帯を持ち、いまではお年玉を与える側になりました。次男は、あまり年令の差のない兄弟などにあげる場合、金額に差をつけずに同額にするのだと言っています。かって、自分も兄と同じ扱いを受けたのが嬉しかったから、なのだそうです。



このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。
www@hb-arts.co.jp