2001年(平成13年)11月1日号

No.160

銀座一丁目新聞

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追悼録(75)

 スポニチ登山学校の講師、星野竜史さん(33)がヒマラヤで遭難したと、10月24日の夜、登山学校の校長、八木原圀明さんから電話があった。慌てて夕刊をみると、ネパールのダウラギリー1峰(8167メートル)の東壁からの登頂を目指していた星野さんら群馬ミヤマ山岳会の三人が登山中に行方不明になり、14日から消息がわからないと伝えていた。同山岳会は「三人の生存は絶望的」として捜索を打ちきってしまった。遭難の原因は雪崩か滑落とみられている。
 星野さんは1993年12月、群馬山岳連盟の登山隊の一員として、最も困難といわれるサガルマータ(エベレスト・8848メートル)の冬期南西壁からの登頂に成功している。当時24歳で、日本人として最年少のエベレスト登頂者であった。好青年でおごらず、だれからもすかれていた。今年3月、恵子さん(32)と結婚したばかりで、奥さんの妊娠を知らなかったらしい。この時、一緒に登頂した名塚秀二さん(47)も今回一緒に入山している。名塚さんは北東稜から単独で登頂したもの強風のため手足に凍傷を負い、すでに日本に帰国、入院している。名登山家の名塚さんですら凍傷にかかるぐらいだから、この冬のダウラギリーは相当、機嫌が悪かったのだろう。
 群馬山岳連盟会長の星野光さんの話によると、平均すると11回、山に登ると遭難するという統計が出ているそうだ。サガルマータをはじめ8000メートル峰五座登頂の経験をもつ星野竜史さんでもこの統計の悪魔から逃れる事は出来なかったのであろうか。
 平成8年1月、群馬県山岳連盟のサガルマータ登山隊のメンバーを中心としてスポニチ登山学校が発足した。すでに6期生を数える。講師陣のうち6人がエベレスト登頂者というのだからこの登山学校は世界一である。運営の主役に当たっているのが登はん隊長だった尾形好雄さん(現スポニチ事業局デスク)である。生徒たちがどんな質問しても自分の体験から出た話をするから説得力がある。山男はみんなやさしく、謙虚である。そのなから星野講師を失うのは残念である。
 スポニチ登山学校の校則はたった三か条しかない。

 1条 山に親しみ、山を愛し、山から学ぼう。
 2条 登山の基礎技術をしっかり身に付け、心身を鍛えよう。
 3条 常に情誼の篤い人間たれである。

 サガルマータ登山隊の隊員の振る舞いをみて作られたものである。

(柳 路夫)

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