2001年(平成13年)10月10日号

No.158

銀座一丁目新聞

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茶説

演歌・歌謡曲は再興する

牧念人 悠々

 五木寛之原作・脚本、高木康夫演出の『旅の終りに』を新国立劇場でみた(8日から21日まで吉祥寺の前進座劇場で公演)。このお芝居は前進座の70周年記念公演のために、五木さんがある思いから『大衆歌謡演劇』に挑戦した意欲作である。
 ある思いとは、平成になって、数字の面からも質の面からも絶滅寸前の日本の演歌・歌謡曲を何としても再興したいというものである。五木さんによれば、平安時代の今様をはじめ、声明、和讃、ご詠歌、琵琶法師の語りものから長唄、浄瑠璃、端歌小唄の類や、浪曲、民謡など広く深い日本人の歌謡の世界はすべて演歌・歌謡曲の世界に流れ込んでいるという。その通りだと思う。日本人の心の中に、体の中にしみこんでいるはずである。一時的にそっぽ向かれたとしても、絶滅するものではない。必ず再興すると信ずる。
 さらに、五木さんはいう。「短調で、かつヨナ抜きの貧しい音階に依存する音楽、として蔑視されてきたのは、世界の歴史のねじれではないのか。短調の音楽は、アラブ、イスラム世界では前向きの音楽であり、軍歌も、抵抗歌も喜びの歌も、マイナー・コードで歌われてきた」
 だから、この芝居には、金山トシエ役に山崎ハコ、トシエのパートナーのギターリスト安田役に安田裕美、育成中のポップス歌手のASAMI役に林あさ美をそれぞれ配し、素晴らしい生の音をきかせ、観客を堪能させる。
 舞台は1970年代。歴史年表を拾うと、核家族化が進み、平均世帯人数は3.69人。
 軍歌ブームでレコードだけで40種類以上カセットテープが20種類以上。ラジオの深夜放送ではリクエストの一割が軍歌だった。田中角栄通産相日本列島改造論を発表、地価高騰に拍車をかける。自動車免許人口3000万人を突破。昭和48年度のGNP100兆円をこえる・・・
 近代化、合理化を伴う高度経済成長がはじまるとともに、日本と日本人の心が無国籍化してゆく。戦後日本の大きな曲がり角であった。
 「艶歌の龍」といわれた高円寺龍三(中村梅雀)がさびれた温泉町のヌード劇場でみつけた旧陸軍にいた喇叭の名手、目黒雄作(津田恵一)に「懐かしの帝国陸軍喇叭-鎮魂の賦」をつくらせる。これが大ヒットする。
 終戦時の陸軍の喇叭譜は75。合調音語でいうと起床喇叭は「起きろよ、起きろよ、皆起きろ、起きんと班長さんに、叱られる」消灯喇叭は「初年兵可愛いやなー、また寝て泣くのかえー」坂本圭太郎著「物語軍歌史」によれば、喇叭はしみじみと聞く人の心うつものだった。古参兵は消灯喇叭を聞いただけで「今夜は誰が吹いているか」わかったという。陸士時代の経験からいうと、消灯喇叭は名曲だと思う。哀調の帯びた調べは切々と胸にひびく。落ち込んでいるときはなおさらである。日本の伝統的な調べだからであろう。五木さんが陸軍の喇叭の話を挿入した気持ちがよくわかる。
 日本人はしょせん、日本の風土のなから逃げ出す事は出来ない。父親高円寺と絶縁していたASAMIも高円寺が肌身はなさず持っていた「七歳の娘と三十二歳の妻」の写真で次第によりを戻す。われわれが身近でよく聞く話である。これはまさに演歌の世界である。売り出そうとした金村トシエが日本名でデビューするのが駄目になる。死んだパンソリ(韓国の伝統歌謡)の歌手であった母親が遺言で韓国名でのデビューを望んだからである。高円寺はじめスタッフはまざまざと韓国のアイデンティティーの強さを知る。これは日本人が次第に失われようとしているもである。
 唖然としている中、社運をかけての大キャンペーンが準備されているポップス歌手、ASAMIが金村にかわって、「こころの花」を歌う。見事な歌声である。希望に満ちている。
 このシーンはやがてポップスから再び演歌・歌謡曲時代がくるのを予感させる。
 「艶歌の龍」がいうイミテーションではない生の人間の生の音は、日本人には艶歌・演歌・恨歌にこそあるといいたい。

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