僕らは喫茶店にいる。
満席の店内で、僕と恋人のミサは、さしむかいに座っている。
ミサは、僕の顔をじっと見ている。というより、にらみつけていると言った方が正しいだろう。
僕は、テーブルの上のコーヒーカップに視線を落とす。
何か言った方がいいのだろうが、もう言葉が見あたらない。
「謝罪はなし?」
「だから、仕事が抜けられなくなったんだ。仕方ないだろ」
「電話の1本ぐらい、お店に入れられたでしょう」
「気がついたのが八時だったんだ。もう帰ってただろう?」
「まだ、いたわよ。この前の時も、八時に気づいたと言っていたから、ゆうべは九時まで待っていたのよ」
ミサの怒りは、静かではあるが、確実にボルテージを上げているようだ。
どうも、僕らの周囲だけがすっぽりとブラックホールにはまったみたいで、空気の流れが鈍っているように感じる。
それから、ミサの顔が歪んで見える。このままでは、ブスに見えてしまう。
元はと言えば、僕の遅刻のせいなのだが、小一時間かけて責められていると、ミサがうらめしくなってくる。
「君だって、この前・・・」
僕は、先日、ミサが、約束を土壇場でキャンセルしたことを持ち出そうとして止めた。
「何?私が、この前?」
まずい。このままでは、二人ともが不細工になっていく。
今、僕らの神経は、互いの非を蘇生することに集中しつつある。二人で居ることが、一対一の勝負になってどうなるというのか。
この状況を打破する、何か良い方法はないだろうかと、僕は考える。
僕は、無意識のうちに、カップの唐草の模様を目でなぞっている。
ふと、僕は、この場に居るもう一人について想像してみた。
つまり、テーブルには、僕とミサともう一人、3人が座っている。
もう一人は、男性がいいだろうか。その男性は、ミサを見つめて、何か話しかけている。ミサが、その男性に笑顔で答えている・・・。いや、これは良くない。
女性がいいだろう。ミサの友人だ。「ミサは、いつもあなたのことを自慢しています」とか言っている。友人は、大変な美人で、「私も、こんな彼氏が欲しいわ」などと言われたら最高だけれど、これも、今の状況では良くない。
僕の嫌いなタイプの女性がいいだろう。第一に優しくない。冷たい。しかも笑わない。喋らない。怒りもしない・・・。
そういえば、ミサは、よく怒っている。今もだ。
それに、ミサはよく笑うし、優しい、ということを、僕はじわりと思い出す。
僕は顔を上げて、こう言いたくなる。
「ごめん」
ミサが、呆気とした目を僕に向ける。
僕は、ふだんはなかなか出てこない言葉を喉の奥から絞り出す。
「これからは、気をつけるよ」
すると、ミサが微笑む。
「私も気をつけるね」
そう言って、もう一度微笑む。
・・・というふうに、うまくいくだろうか。
僕は、カップの底に沈みきったコーヒー色の液体を飲み干した。
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