2001年(平成13年)4月20日号

No.141

銀座一丁目新聞

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追悼録(56)

 辻 平一さん。週刊誌「サンデー毎日」の名編集長の一人である。彼が編集長になったのは1950年(昭和25年)である。私は警視庁詰め記者であった。後になってその名編集長振りを聞かされた。
 1927年毎日新聞大阪本社に入社した辻さんは、駆け出し記者を京都支局でおくり、学芸部記者となった。東京駐在時代の仕事は「サンデー毎日」への執筆依頼であった。この間、錚々たる作家と付き合い、交友を深めた。名前をあげると、
 長谷川 伸、内田 百間、佐藤 垢石、白井 喬二、子母沢 寛、吉川 英二、小島 政二郎、吉屋 信子、大仏 次郎、尾崎 士郎、川口 松太郎、海音寺 潮五郎、サトウハチロー、林 芙美子、森田 たま、三上 於菟吉、邦枝 完二、土師 清二 の諸氏である。辻さんは人柄も良く、酒も好んだので、皆から可愛がられた。現役の記者でこれだけ交友範囲の広いものは、いまはいない。
 編集長在任2年間の辻さんの功績は源氏 鶏太の「三等重役」を掲載、爆発的人気を呼び、部数を30万部から80万部に増やしたことである。
 そのいきさつについて、源氏 鶏太さんが「わが文壇的自叙伝」に書いている。それを要約すると、週刊誌の連載小説にマンネリを感じた辻編集長が大家ではなく、新人に一回ごとの読みきり連載小説を書かせようと思いついたという。
 いまでもそうだが、連載小説は週刊誌の柱の一つである。この良し悪しで売れ行きに影響がでる。見事に当たった。「三等重役」のネーミングもよかった。これは源氏 鶏太が「サンデー毎日別冊」に書いた短編で使った言葉を辻さんが借用したものである。辻さんの編集者としての鋭い感覚である。
 辻さんの息子の一郎さんがその著書「父の酒」のなかで、これだけ社に貢献して一切評価されていないのはやはりどこか変であるといっている。私も同感である。かって、三木 正さんが「サンデー毎日」の編集長時代(1965年から1968年・故人)、全国高校別東大合格氏名一覧(昭和40年4月3日号・毎年掲載)で部数を伸ばしたがそれほど評価されなかった。間もなく私も「サンデー毎日」の同人となったが、この号は平常よりは30万部も増えており、その売上は全社員のボーナスをまかなえるほどであった。私はことあるごとにそれを吹聴したものである。
 今新聞系の週刊誌は冬の時代を迎えているが、活字文化が滅びることはない。時代を先取りし、見過ごし勝ちな世相事物を究明、人間に焦点を当てて時代を語れば生き延びてゆく道はある。先人はそれをしてきたのである。
 辻 平一さんの生涯については、近著、辻 一郎の「父の酒」(清流出版刊)に詳しい。
 辻 平一さんは1981年8月9日享年80歳でなくなった。

(柳 路夫)

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