2001年(平成13年)4月20日号

No.141

銀座一丁目新聞

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花ある風景(55)

 並木 徹

 演劇集団 円による、宋 英徳さんの作、演出の長州幕末青春譜「百年一瞬」を見た(4月12日、東京・新宿・全労済ホール/スペース・ゼロ)。
「百年一瞬」は吉田 松蔭の漢詩の一節「百年は一瞬のみ」による。
 今から150年前(1853年6月3日)ペリーが4隻の軍艦を率いて浦賀に来航し日本中がパニックに陥った。その時、大人はなにもできなかった。当時の落首に「泰平の眠りをさます蒸気船たった四杯で夜も眠れず」とある。立ちあがったのは無名の若者たちであった。宋さんは若い奴は《やる》と舞台いっぱいに訴える。若手の俳優陣がそれに十分こたえた。
 吉田 松蔭の教えを受けた桂 小五郎(赤間 浩一)、高杉 晋作(小森 創介)ら長州の若者たちが「尊皇攘夷論」、「佐幕開港論」をめぐってゆれる人間模様をくりひろげる。
 吉田 松蔭は「それ外夷を制馭する者は必ず先ず夷情を洞(うかが)ふ」として単なる攘夷論者ではなかった。その考え方を高杉 晋作は受けつぐ。しかも、奇兵隊を創設するなど思考は柔軟である。幕府の第一次長州征伐(1864年)に対する藩の恭順をよろこばず、佐幕派を追放して藩の実権を握る。二年後の第二次長州征伐では高杉 晋作の奇兵隊が小倉藩領に攻め込み小倉城を占領、大いに戦果をあげる。すでに、アメリカ、イギリス、フランス、オランダの四国連合艦隊が下関を攻撃、痛い目に会っており、相手から学ばなければいけないことを痛感していた。それが言動にでる。
 このため、尊皇攘夷論に固執する平野 市之進(谷川 俊)に命を狙われる。それが悲劇を生み、芝居を盛り立ててゆく。
 宋さんが描きかったのは「日本のかわり身の早さだった」ようにみえる。長州が攘夷思想と心中せず、犬猿の仲の薩摩と手を組んで明治維新(1868年)を成し遂げたのだから当然といえよう。
 ペリーの浦賀来航は1853年(嘉永6年)日露戦争の終結が1905年(明治38年)アポロ11号の月面着陸が1969年(昭和44年)である。舞台の上でも「そのうち月にでも行けるようになるさ」と長州の若者が語っていたが、明治維新から百年目にそれがくしくも実現した。まさに「百年は一瞬のみ」である。とすれば「尊皇攘夷」「佐幕開港」といって騒いでいたのも愚かな人間の営みのようにみえる。
 だからこそ、仙吉(渡辺 穣)が主人の白岩 正二郎(丸岡 奨詞)に向かっていう言葉が胸にこたえる。「悔いは残すものでは有りません。悔いは改め直して、前に進むものでなくてはなりません」
また、津田 松江(水町 レイコ)の人の意表をつく前向きな発言は坂本 龍馬(本多 新也)を感心させ、若者たちの励ましともなっている。聞いていて気持ちがいい。久しぶりに、考えさせられる見事な芝居であった。

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