2001年(平成13年)4月20日号

No.141

銀座一丁目新聞

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お耳を拝借(10)

-育てたように子は育つ

芹澤 かずこ

 

 以前、NHKテレビで“0歳児の感受性について”の番組をやっていました。赤ちゃんの体にいろいろな器具をつけて、その反応を測定するのです。

 赤ちゃんを部屋に一人にしておいて、ときおり母親が部屋に入って行きます。 始めは普通の顔をして。次はにっこり笑いかけて。最後は怖い顔をして。グラフは微妙に反応します。

 生まれて間もない赤ちゃんですら、このように身近な人の接し方で、感情が揺れ動くのですから、 ましてや、人間の基礎が殆ど出来上がると言われている幼児期や、情緒が育っていく過程で、親の愛情不足や、世の中の不条理を、嫌というほど味わってしまったら、一体どんな人間に成長して行くのかと、人を育てる恐さと難しさをつくづくと考えてしまいます。

  もう40年も前のこと。初めての出産を控え、産み月が近づくにつれて、果たして未熟な自分に“一人の人間”を無事に育てることができるだろうかと、責任と不安を強く感じて、何かに縋りつきたい気持ちでいっぱいでした。どこかに母親になるための学校があったら、どんなにいいだろう、と真剣に思ったほどです。でも変にノイローゼにならずに済んだのは、そんな私に夫が言ったのです。「手作りの食事を与え、手作りの物を着せて、愛情豊かに育てれば、それで十分」だと。あ、それでいいの、それなら私にも出来そう。ふと、肩の荷が降りたような気がしました。

  一姫二太郎と2年おきに3人の子が授かりましたが、若い母親にとって子育てはそんなに簡単な仕事ではありませんでした。一人が熱を出すと次々と連鎖します。元気が余っての喧嘩やケガも耐えません。ハラハラしどうしの私に夫は「子供とはそうしたものだ、少しぐらいのケガを心配するより、泣いて帰ってきた時、家にいて赤チンの一つもつけてやるのが子供にはずっと大事なことだ」と教えてくれました。

 長男は弱虫でしたから、行動パターンも分り易いほうでしたが、次男は我慢強くてめったに泣かないので、次男が泣いた時は特に注意するように、とよく言われました。

 子供たちが地元の中学を終えて、それぞれ上の学校へ電車通学するようになる頃、巷では犯罪に巻き込まれる高校生のことが話題になっていました。夫は子供たちを集めて「なにかまずいことがあっても、決して一人で解決しようとしてはいけない」と言い聞かせました。そして特に長女には新宿などに遊びに行く場合には、近くの知人の名刺を持たせるようにと言い、護身術まで授けていました。何事もなく成長した今では笑い話の一つですが、私の子育ては夫の強力なバックアップがあったればこそと今にして思います。

  次男が高校生ぐらいだったでしょうか、テレビで愛に飢えた子供の悲しいニュースを見ていた時、「僕は愛情をたくさん貰って育ったから、自分もみんなに、たくさんの愛をわけてあげられる」と言ったことがありました。素直に育ってくれて本当によかった、その、何気なく言った言葉を嬉しく聞きました。

  “育てたように子は育つ――”

 書家であり、詩人でもある相田みつをさんの語録から。



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