2001年(平成13年)2月20日号

No.135

銀座一丁目新聞

ホーム
茶説
追悼録
花ある風景
横浜便り
水戸育児便り
お耳を拝借
銀座俳句道場
告知板
バックナンバー

お耳を拝借(4)

-ちょっといわせて−

芹澤 かずこ

 今、巷では人の命が余りにも軽んじられている。これは道徳教育云々の以前に、家庭内の問題が大きいと思う。核家族や少子化で、家族の頭数が少ないことにも一因する。何世代もが一つ屋根の下に暮らしていれば、祖父母の死や、兄弟の誕生に自然と関わるが、それが出来ないなら、子供の頃から家畜を育てたり、犬や猫や小鳥を飼っていれば、弱いものを労わる気持ちと死なれた時の悲しみを通じて、命の儚さやかけがえのないものという“慈しみの心”が自然と育ってゆくと思う。
 そうすれば、「人を殺してみたかった」というゲーム感覚でしか、人の死を捉えることもなくなるだろうし、「なぜ人を殺してはいけないのか」といった疑問にも自ずと答えが出ると思う。
 そして子供には小さい頃から、しっかりと挨拶を教えるべきだとも思う。朝、顔を合わせたら「おはよう」と声をかける。今日もいい一日でありますように。始めはオオム返しでいい。食事の時には始めと終わりにきちんと「いただきます」と「ごちそうさま」、これは食物の恵みや作り手へのもろもろの感謝の気持ち。また何か人にしてもらったら、それが例え子供でも「ありがとう」の気持ちを素直に伝える。そして何かミスをしたら「ごめんなさい」と非を認め、反省する潔さを。
 毎日の生活の中で親が率先して繰り返していれば、自然と身についてゆき、その意味するところも分って、人を敬う気持ちや感謝の気持ちが芽生えてくると思う。この、ごくごく当たり前のことが出来ない子供や青少年が結構いる。道を歩いていてぶつかっても、電車の中で足を踏んでも、挨拶なし。挨拶どころか、真正面からぶつかって来て、道をよけると言うことをしない、とよく年配者がこぼしている。
 もう、死語になった言葉に「江戸しぐさ」がある。狭い道などで、人と人とがすれ違う時に、ふっと片方の肩を半身にしたり、傘を斜めにしたりする仕草のこと。この半歩、お互いに譲り合う気持ちが社会生活の中では大切だと思う。
 車内で年配者が立っていても、席を譲らない若者が多い。
 これはやはり、子供の頃に親が子供を甘やかして、先ず子供を席に坐らせる、ということをしているからではないだろうか。
 社会が悪い、教育が悪いと言う前に、自分の身近に目を据えて、先ずは一般常識を備えた子供を育てて、世に送り出して欲しい。
 せっかく与えられた“生”をまっとう出来る安心な社会を取り戻すために――。



このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。
www@hb-arts.co.jp