2001年(平成13年)2月20日号

No.135

銀座一丁目新聞

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花ある風景(50)

 並木 徹

 「ニコニコ ニッコリ笑顔で感謝しよう」と常に笑顔であるのを説いたのは陸士の先輩、後藤 四郎さん(93)であった。私は若いころから笑うと損すると思うほど笑わない男であった。
 昭和53年の夏、「来年は少尉任官五十年になるので本を出版したい」と陸士41期の後藤さんが同期生の西山 勝さん(故人)をつれて毎日新聞出版局を訪ねてきた。後藤さんの書いた物は面白く、一晩で一気に読んだ。
 毎日から出版されたのが「陸軍へんこつ物語」である。好評で重版した。
 その際、驚いたのは、後藤さんの若いことであった。当時二人は72歳であった。西山さんはそれなりの年齢にみえたが、後藤さんはどうみても50台である。そこで「若さの秘訣はなんですか」ときいた。即座に「敬神 努力 浮気 楽天 」の言葉がかえってきた。
 注釈すると、敬神とは神様を敬うこと。後藤さんは毎朝、神棚に手を合わせて祈る。旅先では東に向かって祝詞をささげる。努力とはご飯がたべれるように頑張ること。浮気とは文字通りの意味である。楽天とはくよくよしない、ニコニコ笑って感謝すれば、心は常に晴れ晴れする。これが若さの、健康の秘訣だというのである。
 18歳後輩の私は53歳にときからこの教えを実行するよう心がけてきた。特にどんな場合でも笑顔を忘れないようにしてきた。「人と接するに、怒らず、温顔を以ってする」を戒めの言葉の一つとしている。
 後藤さんは戦前、憲兵司令部が出した全軍要注意将校リスト53人の内の一人だが、軍隊での行動は型破りであった。
旧満州の守備隊の移住地で、即製の学校をつくり、中国人、朝鮮人の子供たちを教育、また子供や村民のために浴槽を作り、入浴させた。娘さんたちも入るようになり、「姑娘(クーニャン)浴場」とも言われるようになった。
 2・26事件に連座して一ヶ月の重謹慎、二期進級停止などの処分をうけたのに、関東軍一の不良中隊の建て直しを命ぜられた。この不良の兵隊さんたちに「これならできる」という一日一善を実行させた。また兵室に掲げられていた関東軍司令官などの訓示をすべて取り除き、「親の心 子の心」という簡単な中隊長のモットーだけをはらせた。難しい訓示より親が子を思い、子が親を思う心を大切にすることを説いたモットーの方が兵隊さんには覚えやすいという理由である。関東軍の特別査閲のさいもこのモットーで押し通した。おかげで立派な中隊に立ち直った。
 この人は並みの軍人ではない。終戦時、全陸軍の連隊の軍旗を焼却せよの命令がでた。後藤さんは新設の321連隊の連隊長であった。「解体する日本陸軍の形見として軍旗を秘匿して守り抜こう」と考えたのである。はじめは軍旗と共に自爆を決意していた後藤さんの当然の帰結であった。321連隊の軍旗は焼かれずに守られ、いまは靖国神社に奉納されている。全陸軍のただ一つの軍旗である。今年も4月4日後藤さんを中心に部下たちがあつまり、みはた会がひらかれる。

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