2001年(平成13年)2月1日号

No.133

銀座一丁目新聞

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追悼録(48)

 聖書を薦めたのは、メキシコ大学教授で植物学者の松田 英二さん(故人)であった。メキシコで第19回オリンピック大会が開かれた昭和43年の9月、松田博士にお会いした。その際、「読むべきは聖書なり。その国に10人の義人がおればその国は滅びない」と教えられた。この言葉は今でも頭にこびりついている。義人とは己の信ずる道を死を賭しても進んで行く人を指す。
 1月26日夜、東京・新宿のJR新大久保駅で大きな事故が起きた。線路に落ちた酔っ払いを助けようとした二人が巻き添えを食い死亡した。
 カメラマンの関根 史郎さん(47)と韓国人留学生、李秀賢さん(27)である。この二人はまさしく義人であると思う。誰でもが出来ることではない。目の前で人が危険にさらされている時、とっさに行動できるのは、日ごろからやさしい性格の持ち主であり、正義感の強い人である。恐らく私にはこのような行動は取れなかったであろう。もともと酒の飲めない私は酔っ払いが嫌いである。しかもホームの黄色い線より線路よりを歩かない主義である。酔っ払いのすることにはまず無関心であるからである。しかし、二人には賞賛を惜しまない。
 「だが、死を賭して、残る家族や友人を悲しませる勇気を推奨できない」(1月28日毎日新聞「余禄」)という批判がある。
 この批判には次の事実で答えたい。
 昭和29年9月26日夜、青函連絡船「洞爺丸」は台風15号に襲われ、座礁転覆した。乗客1,000余名が死んだ。助かった者は僅か177名であった。この洞爺丸に二人の外人宣教師が乗っていた。救命具をもたない若い男女に自分たちの救命具を与えて死んでいった(三浦綾子著「新約聖書入門」より)
 人間は時には家族や友人を悲しませる死を選ばざるを得ない場合がある。死を選ぶか選ばないかはその人の生き方に大きく左右されるのだと思う。
 関根さんの母親千鶴子さん(76)の「相手も救えずこれでは無駄死にだよ」(1月28日朝日新聞「天声人語」)の気持ちは十分わかる。たとえ無駄死にであっても、二人の行動は義人に値する。
 聖書にいう。「正義は国を高くし、罪は民をはずかしめる」二人は日本と韓国の道徳的水準を高めた。それにしても、政治家、官僚の恥知らずの犯罪は・・・いうべき言葉を持たない。

(柳 路夫)

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