2000年(平成12年)11月01日号

No.124

銀座一丁目新聞

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茶説

必ず大ピンチがやってくる

牧念人 悠々

 「人生はまさにラグビーボールのようなもの。楕円球はどこに転がるかわからない。しかしチャンスは必ずやってくる」
森 喜朗首相の好きな言葉である。チャンスとともにピンチも必ずやってくる。たしかに首相の座は前首相の突然の死で転がり込んできた。そのあとの、ボールの転び方はピンチばかりを招いているように見える。
 そのピンチは大小さまざまであった。すべては自ら蹴ったボールによるものであった。会社の社長であれば、その影響はたいしたことはないが、一国の総理となれば、大きいことを自覚せねばなるまい。
 城山 三郎さんはリーダーの条件を三つあげている。1、人間、卑しくないこと 2、常に生き生きしていること 3、いつもあるべき姿を追い求めている。
 森首相のこれまでの言動をみていると、このリーダーの条件の資格に欠けているといわざるをえない。たとえば、北朝鮮との交渉をみていると、その場限りで、北朝鮮とのあるべき国交の姿を考えていない。拉致事件の「第三国発見」案などは公表すべきではない。案そのもの自体国の主権をどう考えているのか、政治信念まで問われかねない。
 辞任した中川 秀直官房長官は森さんの側近の側近だ。彼の人となりを熟知しているはずである。任命権者としての責任は重い。中川前官房長官問題はなお尾を引きそうなので、首相の責任はさらにきびしく追及され、予断をゆるさない。
 かってこの茶説で森首相誕生にふれ、「滅私奉公」いいではないかと論評した(5月1日号)。
 どうも森首相は口先だけのようである。具体的に私欲・私情を捨てるということはどういうことなのか、国のために尽くすのはどういうことなのか行動で示してほしい。今の日本の国のことを考えれば、いてもたってもおられないはずである。自分の周りに難問が山積しているではないか。すべてを部下まかせとはいかないのだ。六大学野球の早慶戦に出かけたり、ラグビーの国際試合をみたりする余裕はないはずである。生き生きすることといそいそすることは別である。
 政治は国民の関心の度合いによって決まる。日本の政治のこの体たらくはいまの国民の政治への関心の低さを示しているといわざるをえない。それにしても森首相の顔がだんだん卑しくなってきた思うのは私ひとりだけであろうか。

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