おそくなったが、森 喜朗首相ことを書かねばならない。評判が余り芳しくないからである。密室の人事といいながら、四つの派閥(小渕,加藤,森,江藤・亀井各派)が押した人である。非協調性であったり,ひねくれた人であれば異論がでたはずである。どこか良いところがあるのであろう。少なくとも一国の総理である。誰でもいいというわけにはいかない。何はともあれ,そのよい点に期待したい。
小渕さん同様気配りの人だという。結構ではないか。協調性があるということであろう。昔から「和を以って尊しとする」といわれる。日本の社会はこの和が大事である。
また、高校時代、ラグビーの選手で、司令塔のスタンドオフだった。ガリ勉でない男が総理になったわけで、スポーツ選手に夢をあたえるではないか。
あまり独自性がなく、小渕内閣の諸政策をそのまま継続するという。仕方あるまい。会社でも社長交代の際、新社長は決まって前社長の方針をそのまま踏襲するのをつねとする。今の日本人に独自性を求めるのは無理な話である。余程、傑出した人物でなければそんなことは出来ない。
かって森首相と一度だけ接点を持ったことがある。三木内閣の時、森さんは総理府総務副長官で、私は毎日新聞の社会部長であった。学者,識者に「暴走族の取り締まりについて」意見を聞く会があり,出席した。殆どの人が暴走族を厳重に取り締まれという意見であった。私と一人の大学教授が異を唱えた。
「暴走族の取材をしている記者たちの話を聞きますと,暴走族のキャップは子供たちのしつけ,礼儀作法を教え、本来家庭がやるべきことを親に代わってやっている。いい面もある。若者が暴走するのは一過性のもので,そう厳しくすることはないのではないか」と発言した。
これに対して森副長官は「一部に意なることを言う人もいるが・・・」と切り捨てた。民主主義とは少数意見もとりいれる雅量が必要で多数党の意見だけを聞いていては先見性が失われてしまう。
文部,通産,建設の各区大臣をやり,幹事長,政調会長,総務会長を歴任しており,経歴は十分である。何よりも「滅私奉公」がいい。昨今の不祥事はすべて私欲を優先し,公をどこかへ忘れてしまっているからこそおきているのだ。6月までの選挙管理内閣だとしてもしっかりカジとりをして貰わなければ国民が困る。
最後に好きな歌(鳥海 昭子作)をささげる。
謹んで申し上げます 矢萩草は弓矢のかたちに千切れます。 |