2000年(平成12年)6月10日号

No.110

銀座一丁目新聞

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横浜便り(8)

分須 朗子

 北鎌倉駅から山ノ内の山奥へ入り込む一寸手前、静寂な門構えの名刹。

雨の時季には、山門までの鎌倉石の参道沿いに、水滴を浴びたヒメあじさい(日

本あじさい)たちが涼しく微笑む光景はお馴染みだ。

 そのヒメあじさいも、立夏の頃は、まだ、か弱い枝葉の姿。

ヤマツツジやシャクナゲなど20以上もの春の花たちに圧倒され消え入りそう。

 七変化するといわれるあじさいも、時の流れとともに色を変えながら咲き乱

れるのは、ほとんどが西洋あじさいの種。一方、ヒメあじさいは咲いて散るま

で一色。青紫色を頑なに守る。

 日本で創出されたあじさいだが、今や、日本あじさいの数は減少していると

聞く。例えば挿し木を試みても、そう簡単には土地に根付かないそうだ。寺で

の手入れにも労力を施しているという。"あじさい寺"としては、シーズンを前に

「今年もヒメは咲くかな?」と気をもんでいる。

 確かに、境内の庭園は美しく整備されている。

 草木が茫々とした古寺も趣あるが、華麗な境内もたいへんに風情がある。豊

かな花と樹と伝統が明快に守られ、参拝客はそれらを愛で、楽しそうだ。

 江戸時代、北条時頼の仏堂として建てられた「明月庵」が始まりだが、現在

は、庵(草木を結んで作った粗末な家の意)とはほど遠い、近未来的な庭園を

擁している。本堂の後庭園で花しょうぶがズラリと首をかしげるのも、もうじ

き。大庭園のド真ん中に、UFOが降り立っても不思議はない感じだ。

 2001年の大河ドラマ(NHK)は、鎌倉幕府8代執権・北条時宗。時宗は時

頼の子、時頼は北条政子の兄・義時のひ孫にあたる。宇宙人だけでなく、多く

の人間たちが、鎌倉に、明月院に、足を運ぶことになるかもしれない。ヒメ、

ちゃんと咲きますように。



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