万葉の歌碑が多いのにびっくりした。俳句をすこしたしなむので、短歌、漢詩などの書物に目を通す。万葉の歌は好きである。率直、単純である。技巧がないところがいい。
玉津島神社に参る。ここに万葉学者、犬養孝さん揮毫の歌碑がある。
和歌の浦に潮みち来れば潟を舞みあしべをさして鶴鳴きわたる(卷6−919)
神社のご由緒には『神亀元年(724年聖武天皇朝)山部宿祢赤人の詠める短歌』とある。この歌から片男波の造語が生まれる。始めにに訪れた吹き上げ浜は干潮で片男波は見ることが出来なかった。赤人の歌はもう一首ある。
沖つ島荒磯の玉藻潮干満ち い隠り行かば思ほえむかも(卷7−918)
このほか玉津島を詠んだ万葉の歌は三首ある。
ここで引いたおみくじは43番『大吉』であった。4月7日『馬の日』に靖国神社のおみくじは34番『大吉』である。今年は3と4の数字にえんがあるのかもしれない。
和歌山は徳川氏55万石の城下町。江戸時代の遺跡があちこちにある。黒船の見張り所跡が番所庭園(2000坪)になっている。ここは万葉ゆかりの地でもある。藤原卿の歌碑がある(岩波文庫・佐々木信綱編「万葉集」上卷にはこの歌はみあたらない)
紀の国の狭日鹿の浦に 出で見れば海人の灯火波の間ゆ見ゆ(卷7−1194)
柿本朝臣人麻呂の歌もある。
み熊野の浦の浜木綿百重なす 心思えど直に逢はぬかも(卷4−496)
浜木綿は新宮の南 三輪崎の沖合いにある孔島(くじま)が有名で、ここは全島に浜木綿が群落自生している.緑の葉のなかに可憐な白い花を咲かせる。この島に立つと、この歌の実感がわくという。
見張り所があったところだけに、ここの展望台からの眺めは左右に開けてすばらしい。目の前は緑なす大島、中の島がある.右手は雑賀の浦で須崎の鼻、和歌山港がみえる。左手が和歌の浦である。ウイークデーのせいか、庭園は人がまばらであった。
その後とどいた梅田さんの便りには秋にも熊野地方とも考えておりますとあった。今度はどんな万葉の歌にあえるのかいまから楽しみである。