作曲家吉田 正さんの三回忌(平成10年6月10日死去)が行われた(5月22日・帝国ホテル)。出席者は500人。この人の願いは歌を通じて生きることのすばらしさを世に伝えたいということであった。その原点はシベリアに抑留中に作曲した『異国の丘』である。この作品が世にでたいきさつは劇的であった。23年8月1日(日)NHKラジオ放送「素人のど自慢」番組でシベリアから復員した中村 耕造さんが「俘虜の歌える」(詠み人しらず)を歌い、鐘を鳴らした。これをきっかけにしてこの歌が流行りだし、吉田さんの歌と分かったのである。はじめの原題は「昨日も今日も」であった。この歌は耐えて帰る日を待つ希望を歌ったものである。
大正10年、茨城県日立市に生まれた吉田さんは小学校では全甲で級長を勤めたが、悪ふざけもするやんちゃ坊主でもあった。抑留中校庭にさいていた満開のサクラがよく夢のなかにでてきたという。よく遊んだ場所は会瀬海岸だった。魚と貝とりに忙しいかった。
サクラ、海、砂丘、波の音このふるさとの原風景が吉田メロデーを形成しているといっていいだろう。会場で上映された吉田 正「ふるさとへ」のビデオを見る限りその感を深くした。来年4月には日立市に吉田正音楽記念館が開館する運びとなり、この日、日立市長が挨拶に立ちその旨を報告した。
吉田さんを偲び、門下生の橋 幸夫「潮来笠」 三浦 光一「東京の人」マヒナスターズ「泣かないで」古都清乃「長良川夜曲」 友情出演の五木ひろし「法師の宿」 同じく森進一「再会」をそれぞれ熱唱した。
司会に促されてそれぞれに吉田さんの思いでを語ったが、古都清乃さんは「先生は私だけがヒットがなかったのをきにして・・・長良川ブルースがあるんだ頑張るんだと励ましてくださいました」と涙声であった。最後に全員で「異国の丘』を合唱して幕をとじた。