2000年(平成12年)2月10日号

No.98

銀座一丁目新聞

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追悼録(13

 第10回ロサンゼルス大会(1932・7月)の馬術大障害で西竹一中尉(陸士36期)は愛馬ウラヌス号を御して優勝した。このオリンピックで日本はアメリカ、カナダについで118人の大選手団を送り、金7、銀7、銅4を獲得、特に水泳競技では男子競泳400メートルを除く全種目を制覇、全世界を驚かせた。水の王者のアメリカの驚きは大きなものがあった。

 だからこそ,日米両軍が死闘をくりかえした硫黄島でアメリカ軍は西選手(当時戦車26連隊長、中佐)の参戦を知っておりスピーカーで降伏をよびかけた。もちろん西中佐は応ぜず部下と共に20年3月21日、戦死した。兵団長栗林忠道中将は騎兵科出身で西中佐より10期先輩で、家族ぐるみの付き合いをしていた。栗林さんは文武兼ね備えた軍人であった。絵ごころもあったようで、アメリカに隊付にいった時、家族あての手紙には必ずスケッチをそえた。また、陸軍省兵務局馬政課長(大佐〉時代、1938年の秋、国民から公募して「愛馬進軍歌」(久保井信夫作詞、新城正一作曲)を選定するいきなこともしている。

 軍歌に詳しい八巻明彦さん(61期)の本によると、この歌は騎兵隊では「騎兵の歌」といっていいほどの扱いを受けている。毎年「愛馬の日」であった4月7日、「軍馬の像」の立っている靖国神社で軍馬慰霊祭ひらかれているという。
戦いの時代は去った。今年はオリンピックの年。IOCの腐敗、ゆがんだ商業主義渦巻く中、選手たちは平和を存分に満喫しながらフェアプレーに徹して欲しい。(柳 路夫)

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