2000年(平成12年)2月10日号

No.98

銀座一丁目新聞

ホーム
茶説
追悼録
花ある風景
コソボ便り
告知板
バックナンバー

コソボ便り(3)

中村 恭一

 こんな町の状況でも、私は遠出以外はUNと書かれた4輪駆動車を出来るだけ使わず、ひたすら歩きか、アルバニア人たちと共におんぼろワゴンを改造した相乗りタクシーに頼っています。とても之以上は乗れない満員(定員6人)の状態でも、夜帰宅時に私が乗ろうとすると、乗客は他人のひざの上に乗っかるようにしながらも私のために席を空けてくれるなど、誠に心温まる状況に出会うことしばしばです。経済大国日本への一般的な興味、UNMIKへの感謝、それに相乗りタクシーに乗り込んでくる日本人への親近感、これらが混ざり合って私はにわかVIPになるのです。時には乗り合わせた少年が小さいな声な声で「ヤパニ」とささやくので、そうだよと応じるのですが、中には「アア、ヤパニ、ブルース・リー」と叫ぶ者も現れます。思わず私も「ノーノーブルース・リー・イズ・ホンコン・アイム・ヤパニ、ノット・ホンコン・ノット・ブルース・リー」と応酬、小型車の中が爆笑に包まれるというのも一度や二度ではありません。かくのごとく親密な触れ合いを毎日のように楽しんでいます。

 地元の人との親密な触れ合いといえば、私生活もそうです。住まいはアパートではなく、同僚の紹介で知り合ったプリステイナ大学の有名な耳鼻科の教授の家での下宿。教授の子供は27歳をトップに6人、それが全部女の子。アルバニア系の家庭では子供が6人などというのはけして、珍しくなく、このため一般の家庭でも日本の住まいとは比較にならないような大きな家(3階)と部屋(少なくとも12畳)を持っています。教授の末っ子はまだ6歳で私にとっての最大の協力者。時々進呈するアメリカや日本製のお菓子が彼女には大きな賄賂効果を発揮するからです。母親がマスタードを出すのをわすれたりするとこの末っ子が「キョウイチはマスタードがいるのに、ママはすぐ忘れちやうんだから」とおしゃまな口をききながら、冷蔵庫に走ってマスダードを出してきくれるのです。掃除,洗濯、アイロンかけはママ。私の朝食の準備はママが朝寝坊のこともあって、13歳野5女の担当。学校に出かける前に卵2個の料理と、牛乳、オレンジジュウス、チーズとパンにジャム、それにオリーブ5粒の定食を用意してくれるのです。夜はママが私のために特に腕を凝らしたとみられるトルコ系料理が並びます。それだけに事前通告なしに外で食べなければならないときには、せっかく準備してくれた料理と好意を無にするためにとても心がいたみます。暫定行政府であるUNMIへの各国政府の拠出が十分でないために,大学教授といえどもいまだに収入はゼロ。今やっと義務教育の学校の先生や保険関係職員に2ヶ月で僅か1万円そこそこの手当てを払い始めたところです。という事情から私の下宿代がホストファミリーの基本生活費の大部分をしめています。従って物静かでほとんど手のかからない友好的な日本人が一家の生計を支えてくれるとあって、まさに一家あげての歓迎となっているわけです。



このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。
www@hb-arts.co.jp