2000年(平成12年)1月1日・1月10日号

No.95

銀座一丁目新聞

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花ある風景(10)

並木 徹

 陸士時代の区隊長の夫人宣子さんが随筆集を出版されたというので、お祝いの会を教え子たち12名で開いた(1218日・前橋)。踊りの名手であり、一男二女に恵まれた夫人が区隊長亡き後(6212月死去)も懸命に生きてこられたことを随筆集『私の昭和』に紹介している。

 久保村信夫区隊長(53期)は歩兵科に進んだ私たちをきびしくしごいたが、やさしい一面を持つ武人であった。綽名はカケスであった。この鳥はいったん飛びたったら自分の巣を忘れると言う。演習が終わって帰隊する際、休憩の時はずした軍刀をうっかりわすれてしまった。軍刀は生徒が気付いて、持ち帰ったので、こととなきをえた。夫人はお見合いのときも、終って玄関先で私たちに敬礼したとたん軍刀のないのに気が付いて『あっ、忘れた』というよなことがありましたと笑っていた。

 『私の昭和』にこんな記述がある。昭和512月、舞踊会の稽古の帰り、運転していた車が電車と衝突、病院に運ばれたが意識がもどらないまま三ヶ月たった。不思議な夢をみたのである。久保村さんの檀家の正幸寺の前に古い石の太鼓橋がかかっている。それが赤く美しい橋に見え、竜宮城にも行くようなうきうきした気分で渡っていった。門をくぐろうとしたとき目のまえに、すでに亡くなっている姑がたっていた。形相すざましく、『信夫をおいてなにしにきた』と怒鳴ると手にした長い棒で、夫人の肩をびしっと打ち据えた。『痛い』と声を上げると、そばにいた家族にも聞こえ、現実の世界に戻った。夫人は思うのである。夫が橋を渡るとき何故姑は『宣子を置いて・・』と、追い返してくれなかったのかと、訴える。久しぶりの区隊会で話がつきない。時のたつのも忘れてしまった。

 最後に謝辞にたった夫人が『何故おじいちゃんは私を迎えにきてれないのでしょう』とつぶやくと、お孫さんが「おじいちゃんはうつくしい天女と遊ぶのに急がしのでしょう」といったというエピソードを披露、次の再会を約して会をとじた。

          鍛えられし『区助野郎』を懐かしむ

          陸士の教え子亡夫の記せらる (昭和20年の桜坊より)

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