1999年(平成11年)8月20日号

No.82

銀座一丁目新聞

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横浜便り(1)

分須 朗子

 昼間の日差しとは打って変わり、朝夕の思わぬ涼しさに、処暑の空を見上げ
る。夕刻、レンタル中の映画ビデオを返しに外へ出た。
 駅までのいつもの道。丘の上から国道1号線へ出る山道を下る。心なしか潮の
香りがして、風が肌に冷んやりと染みる。唐突に、大きな雨粒が落ちてきた。
坂道の途中、雨宿りの屋根を探す。

 そこに屋根があることは以前より知っていた。5人も入ればいっぱいになりそ
うな茅葺きの屋根。屋根の下には「政子の井戸」。マンション、住宅の合間に佇
む「史跡」である。そこに集う観光客の姿など一度も見たことはない。真新しい
セルロイドの立て看板には、わずか数年前に横浜市の史跡名所として指定された
ことが記されている。
 坂道は旧金沢道にあたる。鎌倉街道の切り通し。鎌倉時代、北条政子が夫・源
頼朝と旅の道中、この井戸場の水を休息の共としたのだろうか。江戸時代には保
土ヶ谷宿として栄えた場所でもある。
 切り通しを国道16号線へ向かって越えると、井土ヶ谷の町。ここには「政子の
化粧の井」なるものも現存する。井戸があるのは、乗蓮寺。今となってはクモの
巣が宿る小さな御影堂には、政子の自作といわれる剃髪の姿が仏像として安置さ
れている。寺が経営する幼稚園の児童の危険を考慮して、数年前に井戸は封鎖さ
れた。国道を鎌倉方面へ少し行けば、「政子の洗髪の井」もあるという。町の小
さな歴史が、一国の大きな財産のような気がしてくる。

 直径1.5m程の丸い木蓋に覆われた「政子の井戸」。さらに金網が蓋を固く閉ざ
す。井戸の奥は枯れているのか、それとも豊かな水をたたえているのか。いった
い井の水はどんな味がするのだろう。「化粧の井の水」で顔を洗ったら、果たし
て効果はあるのだろうか?
 夕立に曇る空を眺めながら、空想は広がるばかり。”政子の清めの井”などな
いものか。顔だけといわず、身体といわず、いっそ心を洗濯できたなら・・・女
丈夫といわれた尼将軍政子の肝っ玉まで授かることができるのかな。

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