1999年(平成11年)8月20日号

No.82

銀座一丁目新聞

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枕の上の葉

1998年第11回東京国際映画祭審査員特別賞受賞作品

otake.jpg (8731 バイト)大竹 洋子

監 督 ガリン・ヌグロホ
脚 本 アルマントノ、ガリン・ヌグロホ
撮 影 ヌルヒダヤット
音 楽 ジャドゥク・フェリアント
製 作 クリスティン・ハキム
配 給 岩波ホール
出 演

ヘル、スグン、カンチル、クリスティン・ハキムほか

1998年/インドネシア映画/カラー/ヴィスタサイズ/83分

 クリスティン・ハキムさんは、インドネシア人なら誰もが知っている映画女優である。インドネシア一の女優というだけではない。国民にこれほど愛されている女優は、世界中さがしてもあまり例がないのではないだろうか。その美貌をスカウトされ、16歳で映画にデビューしたハキムさんは、もう40歳をすぎた。もともと出演作品を選ぶことにしていたので、商業主義全盛の現在のインドネシア映画界にあって、今ではあまりスクリーンに登場することもなくなった。しかし依然としてハキムさんの人気は衰えることがない。むしろもっと高くなったといえるかもしれない。それは彼女の類まれな人柄のよさと、祖国を愛する真摯な姿勢を人々がよく知っているからである。

 1995年の晩秋から翌年の初夏にかけて、ハキムさんは群馬県の山の中にいた。小栗康平監督の「眠る男」で“南の女”を演じるためだった。小栗さんは、ハキムさんが1982年に初めて日本にきて以来、ずっと彼女をみつめてきた。そして「眠る男」で、ついに自作への彼女の出演を決意したのである。

 廃校になった中学校を改造したスタジオと宿舎の暮らしのなかで、ハキムさんはいろいろなことを考えたのであろう。アジアのどの地域ともきめない、漠然とした“南の女“を演じながら、ハキムさんはインドネシアの国民性について、あらためて思いをめぐらせたのではないかと私は想像する。一つの財閥一家が、国家のすべての利権を手中にするインドネシア社会に深く絶望し、日本にしばらく滞在することによって、その息苦しさからわずかでも逃れたいと考えていたハキムさんは、逆に自分が生きる場所はインドネシアにしかなく、そして自分がそこで育ち、成長した映画界でがんばり抜くことこそが、インドネシアへの貢献につながることをはっきりと自覚した。そして7カ月後に帰った祖国で、ハキムさんは映画のプロデューサーとして、その新しい一歩を踏み出したのである。

 優秀な中堅監督であるガリン・ヌグロホさんを起用して、ハキムさんはインドネシアの旧都、ジョクジャカルタの雑踏に生きるストリート・チルドレンを、広く世界に知らせる決心をした。子どもたちから慕われる路上の女の役は、周囲の人々からの説得によって自らが演じることになった。こうして完成したのが、昨年の東京国際映画祭で審査員特別賞に輝いた「枕の上の葉」である。

 1997年のジョクジャカルタ。街にはストリート・チルドレンがあふれている。ヘル、スグン、カンチルの3人は兄弟のように助けあいながら、その日その日を暮らしている。残飯あさり、靴みがき、物乞いもすれば盗みもする。すでに煙草も吸うし、麻薬にも手をそめている。3人が母のように慕っているアシーも、路上生活者である。倉庫の片隅に寝泊りし、露天商たちのあいだを往き来しては手間賃を稼いでいる。誘われれば男についてゆくこともある。そうして得たわずかな金を、アシーは子どもたちのために役立てたいと思っている。

 しかし現実はむごく、3人の少年は次々に非業の死をとげる。カンチルは列車の屋根の上でトンネルにぶつかって砕け散り、ヘルは保険金詐欺に利用されてマフィアに命を奪われ、スグンは人違いで殺し屋に刺される。そのうえアシーたちが生活する地区が、再開発のために閉鎖されるという。やり場のない悲しみにアシーは立ち竦む。街では新入りのストリート・チルドレンが、故郷アチェの歌をうたっている。明日の運命を知らぬままに、地方から流れこむストリート・チルドレンはあとをたたない―――。

 一生懸命に生きている人間を、社会はなぜ見捨てるのか。重い問いかけの一方で、アシー役のハキムさんは見事な演技をみせる。ぐうたらなアシーの夫が、少年の一人に暴力をふるったとき、こらえていたアシーの怒りが爆発するシーンである。ちょうどアシーは、真っ赤なトウガラシをすりつぶしていた。そのトウガラシを口一杯にふくんだアシーが、男の顔にそれをペッと吐きつけたとき、私は心の中で快哉を叫んだ。「いいぞ、クリスティン」。

 私もまた、1982年からずっとハキムさんを見つづけてきた。彼女の心の変遷を、同性として期待しながら待ちつづけてきた。クリスティン・ハキムさんは今、私たちが自信をもって世界に誇るアジアの女性映画人である。私のハキムさんへの讃辞は、個人的にすぎるかもしれない。しかし言い尽せぬ苦労と努力で、「枕の上の葉」を立派に完成させたハキムさんは、いくら褒めても褒めたりることはないと思っている。

 ストリート・チルドレンに必要なのはお金ではない、教育だとハキムさんはいう。映画に出演したジョクジャカルタの本物のストリート・チルドレンと、ジャカルタに住むハキムさんは、毎晩のように電話で話す。現在、ハキムさんが力を注いでいるのは、地方の貧しい村の乳児たちに、ミルクをおくる運動である。「枕の上の葉」を上映中の岩波ホールには、その募金箱がおかれている。ハキムさんは次にどんな作品をつくるのだろうか。そして何年かしたら、彼女はきっと監督になるだろう。それまでは、私も元気でいなければならないと思う。

 9月中旬まで岩波ホール(03-3262-5252)で上映

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