2012年(平成24年)11月10日号

No.555

銀座一丁目新聞

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追悼録(471)

社会部同人米山貢司君を偲ぶ会

 

 社会部同人米山貢司君を偲ぶ会が開かれた(7月死去・享年83歳)。会場はかって有楽町にあった毎日新聞の隣・新国際ビル・9階、日本交通協会大会議室。参加者は60人を超えた。顔触れも多彩であった。彼は快活で人付き合いもよく、酒も飲めないのに宴会芸も上手であった人柄故であろう。米山君も以て瞑すべしである。

 毎日新聞販売店の重鎮・静岡の江崎善三郎さん。わざわざ静岡から来られた。米山君は沼津支局長、静岡支局長を6年も務め、仕事もこなしゴルフの腕も磨いた。公私ともお世話になった方である。本社転勤の話があった際、ごねたと聞いた。プロ野球パリーグの前会長小池唯夫さん(元毎日新聞社長)、毎日新聞社長朝比奈豊さん(甲府支局の後輩)、麻雀友達でもあったJKA会長石黒克己さん、政治評論家岩見隆夫さん。毎日新聞夕刊で健筆をふるっている牧太郎さん。スポニチの元社長は森浩一さん、白根邦男さん(福岡から上京)、山本進さん、私と4人も姿を見せた。「銀座一丁目新」の愛読者で「茶説」に厳しい批判をする天野勝文君(元筑波大学教授)、明治大学の先輩だというので良く米山君の面倒を見たスポニチの役員・柴田幸嗣さん。女性陣も華やかであった。米山君ら私たちが良く徹夜マージャンをして迷惑をかけた岩崎繁君(故人)夫人芳子さん、私が夜のデスク番をしていた時、墨東方面で火事があり、岩崎邸で麻雀中の愛波健さん(元毎日映画社社長)ら4人をそのまま現場に急行、取材してもらい、翌日の夕刊社会面トップを見事なサイドストーリで飾ったことがあった。この日、芳子さんは米山夫人美智子さんに付き添って一時間も前に会場に姿を見せた。私は米山君と昭和30年秋、台風で濁流を渡って孤立した村を取材したことがある。夫人の美智子さんに聞くと、川は釜無川、村は武川村。普段は浅瀬で胸の高さまで水位になったのはこれまでになく、恐ろしい台風であったという。現在は娘さん夫婦と同居、孫もなついてすっかり落ち着いたと話をされた。毎日新聞では初の部長職となり良い仕事をされた山崎れいみさん、米山君と同じく警視庁クラブキャップを務めた大先輩・柳卯平さんの娘さん柳みどりさんもお手伝いとして同人の世話をしていた。社会部旧友会でよく見かける伊藤敏子さん、国井道子さんもお手伝いしていただいた。

 最後に元毎日映画社社長・磯貝喜兵衛さん(慶応)と元カルビー会長・松尾康二さん(東大)が横浜・洋光台の男性合唱団に入っていたということで明治大学の校歌を歌った。会場からこれに和するものが少なくなかった。そのあとエール。

 「フレーフレー米山」と松尾さん。「フレーフレー毎日」と磯貝さん。

 「良い会」であった。世話役の堀井淳夫君、堤哲君と夫人てる江さんらの行き届いた手配によるものであった。


(柳 路夫)