2012年(平成24年)11月10日号

No.555

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茶説

生死を決めるのは本人か医師か法律か

   牧念人 悠々 

 『延命治療』は拒否すると私は日ごろから宣言している。とはいっても医療現場はそう簡単ではないようだ。周防正行監督の映画『終の信託』では喘息の末期患者から「信頼する先生が最後の時を決めてください」と頼まれた女医が栄養補給の器官内チューブを外したことで殺人罪に問われている。映画での検事と女医の『終末治療』をめぐる問答は迫力がある。検事は『横浜事件』を持ちだす。多発性骨髄腫で昏睡状態であった患者に塩化カリウムなどを注射して死亡させたとして殺人罪に問われ有罪となった事件である。その判例によれば1、治療行為を中止して死を待つためには患者の状態として回復見込みがなく、死が不可避の末期状態にあること、本人の意思が明示されていること2、間接的安楽死のためには患者の状態として死が不可避で死期が迫り耐え難い肉体的苦痛があること、本人の意思が明示されていること3、積極的安楽死のためには患者の状態として死が不可避で死期が迫り、耐え難い肉体苦痛があることに加えて苦痛を除くために他に手段がないこと、本人の意思が明示されていることなど3つの条件が付けられている。ともかく法律は終末治療を中止するのを極度に制限する。これでは医者は殺人罪に問われないためにやむを得ず延命処置をとることになる。昨今、医学界にも動きが出てきた。友人の医者・河部康男君からいただいた資料によれば、厳しい条件ながら延命治療にストップをかける選択肢もあってよいという日本老年学会の声明が今年の1月に出たという。その声明の概略は「基本的人権として全ての人にとって『最善の医療及びケア』を受ける権利を有する。胃瘻や径管栄養、気管切開、人工呼吸器装置の適応は慎重に検討されるべきである。もし何らかの治療が患者本人の尊厳を損なったり、苦痛を増大させたりする可能性があるときには、治療の差し控えや治療からの撤退も選択肢として考慮する必要がある」と言うものである。河部君は『今までタブ―視されてきた延命治療問題に風穴をあけた画期的な思い提言である』と評価する。

 延命治療は家族にとって大きな失費となる。たとえば、延命のために集中治療室を使えば1日6万円近い治療費が掛かる。発作のたびに使っていたら治療費はさらにかさむ。現実問題として治療費の問題は患者が家族に多くの財産を残したいと考える場合、延命治療拒否の理由の一つとなる。映画でもぜんそく患者は生き残る妻のことを考え退職金が減ることを恐れていた。

 どうであろう。死期が迫った患者の生死を決めるのは本人を第一とすべきではないかと思う。他人の容喙すべきことではない。『尊厳死』と言う言葉が言われているのもこのためであろう。『最後を医者に任せる』と一筆あれば安楽死を認めたらどうか。だれにも迷惑をかけたくないというのであれば、自ら“姥捨山”に登り餓死を選ぶほかない。末期治療において法律の出番は最後であるまいか。患者の意思を第一とし患者と医者の信頼を慮るのが人間の知恵であろうと思うのだが・・・