2012年(平成24年)4月20日号

No.536

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安全地帯(355)

信濃 太郎


原節子主演の映画「新しき土」を見る


 日独合作映画・原節子主演の「新しき土」(昭和12年に上映・ドイツでは「武士の娘」)を見た(4月10日・東京都写真美術館ホール)。監督のアーノルド・ファンクが来日中、原節子を見つけて抜擢する。原節子、日活に入社2年目の大役であった。16歳であった。昭和12年と言えば、私は満州・ハルピンにいて当時、小学5年生であった。何故か映画「新しい土」を記憶している。原節子はいつも何となく恥じらうしぐさをしているように見える。それでいて一本芯があって梃子でも動かないという印象が私にはある。
映画には日本の美しい風景がたくさん現れ、古き日本の良さを随所に見せる。ことさらに原節子の美しさを強調していない。映画の題名としてはドイツで公開された「武士の娘」がよかったように思う。「新しい土」とは満州を意味する。映画のシーンとしては最後に広大な耕地を夫がトラックターで耕やかし、そのそばで幼子を抱く若き妻が出て来るだけである。満蒙開拓を奨励する国策映画であったと思う。だから私の記憶に残っていたのであろう。

 映画の筋―輝雄(小杉勇)は長い欧州留学を終えてドイツ人女性ジャーナリストとともに帰国する。輝雄は養子となった旧家の巌(早川雪州)の娘光子と婚約している。いずれ結婚しなければならない。光子は結婚を夢見て花嫁衣装までしつらえている。ドイツで個人の自由を肌身で知った輝雄には日本の古き家族制度が束縛と映る。そのことを輝雄は女性ジャーナリストと「東の風」と「西の風」と言う表現で論争する。だが、実家に戻り、父が富士山の麓で泥まみれになりながら田を耕がやかす姿を見て、祖先代代,土とともに生きてきたことを悟る。一方、悩む輝雄を見て光子は噴煙を上げる阿蘇山に花嫁衣装を持って登る。それを知った輝雄が後を追い、火口へ投身自殺を図る光子を発見、助け出す。二人は広々とした新天地で生活を始める。映画はハピーエンドだが、現実はその8年後、日本は敗戦、満蒙開拓民は大きな犠牲を払う。

 原節子出演の映画で心に残るのは黒沢明監督の『わが青春に悔いなし』(1946年・東宝)である。原節子は進歩的な大学教授(大河内伝次郎)の娘役である。藤田進、河野秋武などが出演する。原節子がピアノを引く場面が何度か出てくる。この時、原節子は黒沢監督からピアノの弾き方が悪いとどやされ何度もやり直しをさせられたという。その黒沢監督も原節子の秘める美に魅力を感じた一人であった。原節子が引退したのは42歳の時である。出演映画108本。現在91歳である。風の便りでは湘南方面に余生を過ごしていると聞く。学芸部記者にとってはいまなお取材の対象である。それほど伝説の女優である・・・