2009年(平成21年)3月1日号

No.424

銀座一丁目新聞

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花ある風景(339)

並木 徹

“400年前の人類愛”記念音楽祭が開かれる

 400年前、座礁したメキシコの帆船から多数の乗客の命を救った日本人の”人類愛”を記念して東京で音楽祭が開かれる。時は今年の5月8日(金曜日)午後6時30分。場所は東京・千代田区紀尾井町「紀尾井ホール」。出演は弦楽アンサンプル「ソリスタス・メヒコ・ハポン」。この弦楽合奏団は黒沼ユリ子さんが主宰する「アカデミア・ユリコ・クロヌマ」を巣立った生徒と教師達10名が2007年に結成。メキシコ各地で活躍中である。クロヌマ学校を出た国際的ヴァイオリニスト、アドリアン・ユストウスも「日本メキシコ友好弦楽合奏団」と共に出演する。
 さらにオペラ「夕鶴」の日本語上演で日本の聴衆を感動させたメキシコの名歌手、エルカルナシオン・バスケス(ソプラノ)アンヘル・ルス(テノール)も来日しジェームズ・デムスターの指揮(ピアノ)でメキシコの恋歌の数々を歌う。
 400年前、日本人が示した善意はこういうものであった。1609年9月30日未明、サン・フランシスコ号が千葉県御宿沖で座礁した。乗客、乗組員373名を乗せてフィリピンからメキシコへ向かう途中であった。多数の乗客、乗組員たちが御宿の浜(当時岩和田)に漂着、村民達は遭難した外国の人々を暖かく救助した。冷え切った遭難者には海女達が素肌で暖め生き返らせた。着物や食料を惜しみなく与えたという。それでも56名の乗客が帰らぬ人となった。この後一行は江戸城で徳川秀忠に接見し歓待を受けたりしたあと1610年、徳川家康が三浦按針に建造させた船でメキシコへ帰国したと伝えられている。
 一行が漂着した海岸近くの高台には1928年(昭和3年)村民達の素晴らしい善意を後世に伝えるため「日西墨三国交通発祥記念之碑」が立てられた。戦争中米国の攻撃機の格好の目標になり無惨な姿になってしまった。それを1958年(昭和53年)建て替え、現在の白亜の塔となった。
 今回の記念音楽祭の企画・音楽総監督を務める黒沼さんは「この歴史的美談への恩返しの気持ちで昨年、メキシコの歌手達はオペラ『夕鶴』を完璧な日本語で上演。『つう』と『与ひょう』役で日本の聴衆を魅了し、感動させたソプラのバスケスとテノールのルスは、今回はポンセの心に響く歌曲集や世界的に愛されているメキシコの有名な歌の数々を独唱やデュエットで披露する」と語っている。