2005年(平成17年)10月20日号

No.303

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安全地帯(124)

信濃 太郎

 給食の「いただきます」事件

 学校給食で費用を払っているのに「いただきます」といわせるのは「変だ」という母親が居るそうだ(毎日新聞10月8日)。さらにこのエッセーを書いた永六輔さんが「少数意見」も大切にしようという姿勢から言えば賛成意見(この母親の意見)も取り上げたいというのだからどこか狂っている。もっとも皮肉るつもりで書いたのかもしれない。
 給食を食べる際に「いただきます」というのはお金を払っている、いないに関係がない。食物を作ってくれた人々へ感謝の意をあらわすためである。ひとつのしつけである。「変だ」と言う母親はお金に毒されているか、食物を作ってくれた人々への労働がわからない、心貧しく、感謝の念の薄い人である。この人の意見を「少数意見」とはいわない。大きな間違いをしている。何故即座に「あなたはとんでもない思い違いをしている」と指摘しないのか。大人たちは「それも一つの意見である」と物分りの良い態度を示す。それが民主主義と思い込んでいる。この母親をたしなめなければこの母親の子育ては大きな過ちを犯す恐れがある。「いただきます」は大切なしつけである。私なら断乎として諌める。
 昔は茶碗に一粒の米を残すと母親から「もったいない」と叱られたものである。ものの本によれば、日本人の心の奥底には、米は弘法大師や作神様から授けられたものであるという気持ちがある。小麦から出来ているパンとて同じである。今は勤労感謝の日となっている11月23日は新嘗祭といって新穀に感謝する日であった。時代とともに農民に対する感謝の気持ちが次第に薄れてしまった。食事つくりのすべてをコンビに任せがちな母親にはすべてがお金で解決する世の中である。食物に感謝の念など起こりようがない。感謝するのは「お金」である。学校給食法(昭和29年施行)できて51年、学校給食制度を有り難いと感ぜず当然と思い込むのは仕方のないことかもしれないが、人間感謝の気持ちを忘れたら外道に落ちる。もう一度いう。私なら断乎として怒鳴る。

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