2005年(平成17年)10月20日号

No.303

銀座一丁目新聞

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自省抄(44)

池上三重子

   9月18日(旧暦8月16日)日曜日 満月の日

 只今三時半。「生き生き祭り」最後の日とあって階下の広間では、施設の利用者の合唱や職員の踊りなどで賑やかだ。保安要員は古賀カオル士と池田由紀士で、後者は今年の新人。見に行きたいと思うものの刺激を危ぶみ問わず……だ。
 自省抄は、私のありのままを綴る。これは、と心怯むことはあるけれど、いやいや隠しは禁と、すぐ正直に戻る。正直でなければ意味をなさぬ。誰に? もちろん、私自身に。 自省抄つづりがなかったら見栄っ張りの小心臆病者は、見栄の防衛本能に押しまくられがちか。せっかくの一生一代だ、私は私というものを見つめ、飽くことなくあるがままを知って生きたい。自らを知らず何の他ぞ、もよ。
 己を知り、他を知って己に返りることにより己を知ることができようか。複雑怪奇おもしろおもしろの人間像は私の人間像―とするは、なお早とちりかも知れない。
  此道や行く人なしに秋の暮れ
 芭蕉のこの句もまた、うろ憶えのようだ。私の奥の心の命ずるままに行く以外に、私にどんな道があろうか。
 父は父の道を歩いた。母もまた母の道を歩いた。兄も姉も私もまた、自分の道を歩きつづけるのだ。地球に垂直に立つことはおろか坐ることもできない己、信じ得ない時々刻々だが事実は事実。仰臥三昧も生得の道のさいはての相、首を縦にうなずかざるを得ないではないか、私よ。だが誤字、脱字はもちろんのこと、乱雑な書き方や乱文の様相にはほとほと呆れる。いつもの事でありいつもの感想ながら、その度に絶望しそうになる。
 ならないのは何故。なったら生き甲斐喪失、ウツの虜となり失語症ふたたびの危惧感が根底にあるかららしい。折々は船は帆任せ帆は風まかせの心境に近づき「どうでもいいや」になりきってしまいそうだが、まだぐっと踏みとどまる意欲があるのだろう。取り戻し引き戻しして、先々、生きていくのではなかろうか。
 そうありたいし、あらねばならぬ。が、所詮はねじ花の文字摺草か。
『葉っぱのフレディ』は折々に懐かしくて読み直したい本だ。こうした本に出合えるのも幸福の拝受と思う。作者、レオ・バスカーリアは生涯にこの一冊だけを書いたそうだが、哲学という学問がここに真のすがたを見せているような気がする。
 作者の生命は作品とともに生きつづけ、人々にもまた幸福感を与えつづけるのだから、作者自身も幸福を享受することになる。
 幸福。私は幸福になりたいと思ったことは一度もない。「あたしは不幸だ、幸福になりたい」と、人は思うのだろうか。私はないな、いっぺんもないな。
 健康だったら、手や足が自由だったら、思うことを思うがままに言えたら等々、思うことはあっても、幸福という言葉をつかって思ったり考えたりすることは皆無だ。人はどうなのだろうか。
『千の風になって』、おちついた心に読めばやっぱりいい。先日、期待通りの読後感を得られなかったのは、こちらが、ややささくれだつ心をもてあましていたからだったのだろうか。追われるもの、追うもの―アメリカ先住民族も、日本のアイヌ系の人々も、オーストラリアのアボリジニも状況は同様だったであろうかと思いを馳せる。
 千の風にならい、ウパシが亡き妻レイラへの未練を、愛児ルナ育てによって光を見いだしたように、私の魂も、思いは「自省抄を綴ること」よと結ぶ。
 思考は自由。発想も自由。私の頭脳は浴場前の狭庭のようにせせこましいけれど、あの狭庭には晩秋から山茶花のピンクが咲いては散り、散っては咲いてくれていた。梅雨季には紫陽花の大手毬が涼やかに迎えて言葉をかけてくれた。
 最近は木槿の赤紫が、葉がくれに五つ六つ。懐しい色が杳い昔を甦らせる。
 木槿は「山ん向こ」の生垣以外、見たことがなかった。山ん向こは、きちんとしたもの堅い家風ではなく雑然とアッパラパン式、そこに何やら解放感を覚えて私は好きだった。土間の手打ち茣蓙機には、森閑と筵がかかっていた。活気がなくても、無さゆえの頽廃的(?)崩壊的に見えるところが若い私の魂を惹きつけていたようだ。小母さんが御前で縫い物の針を運ぶのを見つつ話を交わしたものよ。特に話題がなくても、のびやかなのだ。 お陰で私は良き隣り屋の雰囲気を、人を偲んで豊かな自省抄のペンを持ち得ている。
  老われや胡蝶睦るる蘭一鉢戦没兄の遺児に賜はる
  応召に征きし兄なりさあれさあれ三十六歳の死はいたましきかな
  戦没の兄が抱きしは零歳児いまは還暦甘き祖父ぞも
  兄なくば一従の徳をその妻にささげて逝きぬ哀れ父と母
  三従の徳に殉じて消えし母よ風樹の嘆をわがくり返す
 とうの昔に歌作りを止めた私が、最近、折々に、呟くように雨漏り様に即興の歌書きを記す。この実存の不思議さに瞠る思いよ。ここにこうして生命ある私は在るようで無いようで……こうした心の模様を空即是空とも色即是空ともいうのであろうか。
 母上よ、九月は兄隆介の忌の月。そして今夜は仲秋の名月、菱名月。
 菱買いさんたちの自転車が列なして家の前の道を北の集落へ向かって走り去る……今は菱を知る人さえ少なくなり、まして口にしたこともない人が大部分なのでは。
 せめて私は、母上の所作と献げの様を思い浮かべてみましょう。
 庭の「せこ」の前の、木の臼を倒してゴロゴロ転がして敷居を越えさせ、も一つ越えさせて南の釜屋の外、道との仕切りの竹垣半分を外した場所に据える。大鍋から、茹でたての火気(湯気)ポッポ立つ菱を四角い波もよう彫りの丹塗りの膳に盛り、臼の上に。
 お月さんどうぞ! 通りがかりの人もどうぞ! 
 それが、半分開きの竹垣の理由でした。菱の実には針先のような棘があり、刺せばとびあがるほど痛い。その棘を両手に持って菱形の頭部を喰いちぎり、歯で咬み押さえるとチューブから絞り出すように中身が出てくる。兄や男衆たちは素早かった。
 父はジュウビシと呼ぶ殻の柔らかいのが好みで、傍に坐る私が選ぶ役だった。
 母や姉は何処にいたろうか。ハマ代嫂が加わってからは、嫂がハンギリに三升ほど菱を入れて小わきに抱えて戻ってくる。南から北へと通じる農道に現れる姿を私は待ち受けたものだった。
 来月は豆名月、畦豆の実を献げましたよね。思い出すたびに記す季節の行事の懐かしさ。 母上よ! 今日も佳き一日の賜りでした。夢見を楽しみにしていますからね。



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