2005年(平成17年)9月20日号

No.300

銀座一丁目新聞

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花ある風景(214)

並木 徹

ははははは ははははははの 江戸の春
 

 井上ひさし作・木村光一演出・こまつ座の「小林一茶」をみる(9月12日・東京・新宿紀伊国屋サザンシアター)。俳句を始めて5年目の私には興味深かった。俳句を語りながら推理劇を展開し、社会風刺までやるのだから井上演劇は奥が深い。
 ▲基本となる時
 文化7年(1810年)11月8日の夜(注 11代将軍徳川家斉の治世。相模・房総に砲台を築く。諸国飢饉に見舞われる。水戸家 大日本史献上)
 ▲基本となる場所
 江戸蔵前元鳥越自身番
 (壱)「賭け初め泣き初め江戸の春」句会の会場から始まる。ここで弥太郎(一茶・16歳・北村有起哉)と竹里(業俳志願・20歳・高橋長英)が出会い、句会で一位を分ける。雲水(柴田義之)が「は」を17字並べて句を作る。これに季語をつければ俳句になる。「元旦やはは・・・・・」初歩の俳句つくりである。一茶は平易でわかりやすい俳句を目指す。
 (弐)「芝居仕立て」雲龍(柴田義之)と貸し本屋源七(水江智明)が式亭三馬の「浮世風呂」(1809年)と曲亭馬琴の「椿説弓張月」(1806年)のどちらが上等の作かと論争する。源七は三馬は「花がある。女が飛びつきます」といい「馬琴は硬くて、こなれが悪い」という。このような論争をさりげなく入れるところが見事。一茶が雑用をしていた蔵前札差井筒屋八郎右衛門こと夏見成美(小林勝也)の寮から480両が消えてなくなる。その疑いが一茶に掛かる。同心見習五十嵐俊介(北村有起哉)が登場する。その科白がいい。伯父の言葉である。「どんな事件にぶつかっても犯人(ほし)の立場に立って考える、と言うのを忘れてはいかんぞ。これですべての事件の糸は一人でほぐれてくる。いいな、犯人の目星をつける時には、自分が犯人になってみることだ」犯人捜査だけでなく多くの場合、当事者の立場になって考えると、これから展開する事態の道筋が判ってくる。最後に犯人を割り出す。
 (参)「最上川の歌仙」弥太郎と貸し本屋源七の四吟歌仙が面白い。奥の細道を行脚中の芭蕉は出羽の国大石田の船問屋平野一栄の家で門人で付き添の曾良、一栄、一栄の俳諧仲間の川水の4人で歌仙をまく。発句は芭蕉の「さみだれをあつめてすずしもがみ川」(「はやし」に改作されるのは元禄5、6年のころ)脇句は一栄の「岸にほたる繋ぐ舟杭」あなたのような珍客を我が家に繋ぎとめる事が出来て嬉しいという挨拶の心でつけている。弥太郎はおよね(キムラ緑子)に付け合いを説明する。曾良の「たきものの名を暁とかこちたる」川水の「つま紅うつる双六のいし」一栄の「巻きあぐる簾にちごのはひ入りて」芭蕉の「煩ふひとに告るあきかぜ」と続く。弥太郎は「この歌仙、俳諧の真髄だな」と呟く。一茶自身の俳句では、(六)「芸の生る木の植えどころ」で 松山のお殿様主催の句会で満座の喝采を浴びた句を紹介する。「船頭よ小便無用浪の月」「この俳諧味がわかりますか」と竹里に問う。
 12人32役のこのお芝居でただ一人の女性(4役)に触れねばなるまい。およねの科白「一茶さんとは心で結ばれている。竹里さんとは体かしら・・・」「成美旦那とはお金でしょうね。それともその弓の折れかな」。(拾)「明神一座の請負仕事」で大金盗難のからくりが判明する。年貢米が運搬途中嵐で遭難するとお米は濡米になり、札差が二束三文で買取リ大もうけをする。だから遭難したことにして儲けを企む。そのためには船頭、代官所など関係者に袖の下をばら撒かねばならない。札差会所の予備金480両を一時借用して用を足す。その借用の方便に井筒屋が借り出したことにし、その使途を聞かれたら盗まれたということで犯人を一茶に仕立てたのである。悪党の集り「明神座」が札差屋と仕組んだ芝居であった。現代でもありそうな話である。
 一茶にこんな句がある。
   <世の中は地獄の上の花見かな>

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