2004年(平成16年)10月1日号

No.265

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安全地帯(87)

信濃 太郎

最高指導者は涙を流さないのか
 

 毎日新聞のコラム(9月25日)ですこし気になる記事を目にした。小泉純一郎首相が訪問先のブラジルで涙を流したことに触れ「少なくとも、欧米諸国では許されない。涙を流すということは感情に左右される弱い性格であり、国家の運命を決める指導者の器ではないとみなされるからだ」
 欧米はともかくとして私には涙を流すのが弱い指導者であるという認識はない。昭和10年代の後半、軍の学校で学んだ私は陸軍中将の校長が与えた訓示の一節「武士的情誼を涵養し 花も實もりあり 血もあり 涙もある武人たらんことを期すべし 情誼は軍隊団結の基本なり」の言葉を忘れることは出来ない。今も心掛けている。校長は軍司令官として出征、昭和20年7月、フイリピン・レイテ島で散華された。士官候補生に与えた言葉だが、指導者にも立派に通用する。
 飯塚昭男さん(故人)はリーダ―の条件をリーダーシップ、情報感覚、人間的魅力の三つとした。飯塚さんは人間的魅力に欠ける人物として「冷たい奴」「情けのない奴」「威張る奴」などをあげている。これから見ると公の場で「涙を流す」男がかなずしも弱い性格とはいえない。むしろ人間的魅力があるといえる。新渡戸稲造さんの「武士道」を読むと「最も剛毅なる者は最も柔和な者であり、愛ある者は勇敢な者である」とは普遍の真理であるという文言に出会う。共感の涙を流せないようでは国家の運命を決める器ではないといいたい。軍の最高司令官であればなおされである。「武士の情け」はけして弱い性格からは生まれない。「武士道」にいう。「戦闘の恐怖の真只中において哀憐の情を喚起することを、ヨーロッパではキリスト教がした。それを日本では、音楽ならびに文学の嗜好がはたしたのである」クラシック音楽を好む小泉首相の涙は音楽に育まれたその感性が流させたものであろう。私は人間として当然の仕草であったと解釈する。

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