2004年(平成16年)6月20日号

No.255

銀座一丁目新聞

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花ある風景(169)

並木 徹

バルトークを聞く

 安田弦楽四重奏団と大下裕子(おおしもゆうこ)の「室内楽の世界」でバルトークの音楽を聴いた(6月7日・すみだトリフォニー小ホール)。演奏の始まる前にチェロの安田謙一郎さんが「バルトークは現代音楽です。すでに馬車の時代ではありませんでした」と解説する。バルトークは1881年ハンガリーの生まれである。日本でいえば、明治14年で、先進国に追いつくに懸命の頃。国会開会の準備をすすめ、鹿鳴館を建てたりしていた。アメリカでは鉄道大建設時代に入っていた。バルトークの母はピアニストで5歳からピアノを習った。彼のすごいところはハンガリー、ルーマニア、スロバキアなどの民謡を一万種を収集し、うち1000曲程を発表していることだ。その民謡研究が作曲に生かされている。
 大下裕子さんが「二つの肖像」より村の踊りーのピアノ曲を演奏する。プログラムの解説には「言葉の最初ばかりがつよくなるハンガリー訛りがあちこちに散りばめられている」とあるが、曲想は私には蒸気機関車が森林地帯の山道をあえぎなから登ってゆくように感じられた。やがて平地に出たのであろうか、静かに走る列車に変わって気持ちがほっとした。大下さんのピアノを聞くのは始めてで、達者な演奏者という印象をもった。
チェロ・安田謙一郎、第一ヴァオリン・安田明子、第二ヴァイオリン・戸沢哲夫、ヴィオラ・白木麻弥による「弦楽四重奏曲」第一番 イ短調 作品7番を聞く。バルトーク27歳の作品である。このとき、ロイヤル・ハンガリー音楽院のピアノ教授であった。ハンガリ民謡の研究の成果が凝集した独創的な傑作といわれている。心地よかった。チェロの響きがしみた。第一楽章レントは意外とテンポが早い。この楽章をバルトークは恋人との破局にあって「愛の弔い」と称したという。第二、第三楽章とも楽想は自由で「幻想曲」的であった。別の機会にバルトークをもう一度聞きたいと思った。

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