1999年(平成11年)3月10日

No.68

銀座一丁目新聞

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“針の穴から世界をのぞく(14)”

 ユージン・リッジウッド

赤頭巾ちゃんモニカ

 [ニューヨーク発]世の中にはどのように理解すればいいのか、もうひとつ納得出来ないことがままある。まともに取り合うには馬鹿らしいし、さりとて完全に無視出来ないというような場合にこの複雑な心境に陥る。今欧米で起きているモニカ・ルインスキーの回想録「モニカの物語り」を巡る騒ぎはその一つのケースである。

 クリントン大統領とモニカ・ルインスキーが大統領執務室で戯れたばかりに、大統領弾劾という歴史的事件に発展し、特別検察官と議会とマスコミによる狂詩曲もやっと幕が下りたところである。普通なら所詮元々犯罪性などない単なる不埒な行為であっただけに、世間は事件の当事者に言いようのない苛立ちを覚えながらも大事に至らずよかったと思い、また世間を騒がせた当事者は世間お騒がせのお粗末を再度詫びて静かに舞台から消えていくところである。

 ところがモニカは違った。テレビの独占インタビューで30数パーセントという視聴率を稼ぎ、伝記作家の手になる回想録で事の次第を語って、その本を一夜にしてベストセラーのトップにしてしまった。1回のインタビュー料に数千万円という高値がついて、雑誌のインタビューやら本の印税、テレビの放映料などを合わせると、1週間足らずの間に数億円の収入を確保したというから驚かざるを得ない。そのような話題が話題を呼んで再びマスコミの寵児になったモニカは、またもやカメラマンの規制無しには空港のロビーも歩けず、自ら著した本でないにもかかわらず本の即売サイン会に群集が殺到して急遽サイン会が中止される。こうした一連のモニカ・フィーバーを見せ付けられると、この現象は何なんだろうと考えさせられてしまう。

 もちろんモニカが企んでスターになったわけではなく、一年間の弁護士費用2百万ドル(約2億4千万円)を捻出するために、巧みなプロモーター役が現われてモニカを操縦した結果であることは言うまでもない。しかしそのような売り込み技術だけで、厳しい言葉を使えば、破廉恥行為の主がスター的存在になることは出来ない。では何がモニカをヒロインにさせたのか。

 最大の理由は、つまるところケネス・スターという希有な大悪役スターが常にモニカの背景にいたからだろう。

 大統領弾劾に至る捜査過程で何度も何度も世間の非難嘲笑を浴びたのは、執務室で愚かな行為に興じた大統領でもそれをそそのかしたモニカでもなく、終始スター検察官だった。捜査報告が下院司法委員会に送られ全文公開されるに及んで、心ある人はこれは政治ポルノだと慨嘆し、あからさまな文言を駆使した報告書作成の責任者であるスター検察官はその品性を厳しく問われた。

 モニカが語る「モニカの物語り」もそこを巧みについて、初動捜査段階で次席検事の指揮するチームがいかに非人道的かつ人権無視の形でモニカを扱ったか、その後もスター検察官がいかに脅迫的言動で犯罪性も立証されていないか弱い女性を脅かし続けたかを描き出すのに成功した。それに呼応するかのように、テレビインタビューの“証言”で、刑事免責を認める司法取り引き故にモニカは依然連邦大陪審で述べた範囲以上の事を述べることが出来ず、もしその一線を超えると刑事免責が解除される恐怖に今なお怯えていることが見事にアピールされた。こうしてか弱い女とその自由を束縛し続けるオオカミ検察官という構図が鮮明にあぶり出されたのである。

 もしスター検察官が、大統領を失脚させるために何が何でもモニカの口を割らせようとしているという印象を世間に与えていなかったら、モニカはオオカミ検察官に狙われた赤頭巾ちゃんにはなっていなかった。もしモニカが観衆をはらはらさせる赤頭巾ちゃんでなかったら、到底高額の単独インタビューも売れっ子伝記作家による回想録も成立しなかった。

 元々はラジオ用語で、今は幅広く使われる言葉にサウンド・バイト(sound bite)というのがある。これは短い気の利いた表現で、放送中に直接引用するのに格好の言葉のことをいう。この言葉の有無でインタビューの効果が大きく左右される。テレビ時代の今、サウンド・バイトに加えて、恐らくグリンプス・バイト(glimpse bite)が大きな鍵となる。グリンプスつまり一瞬の映像が与える印象効果が事態を大きく動かす。“赤頭巾ちゃんモニカ”現象はいつしかグリンプス・バイトがモニカにプラスに働き出していたということだろう。このグリンプス・バイトという点ではクリントン大統領は天性の役者であり、それとは対照的にスター検察官は悪代官役のいやらしさをイメージさせるマイナスのグリンプス・バイトの持ち主だった。

 日本語には、見てくれに騙されるなという教えがあるが、映像時代はまさに見てくれで騙し、見てくれで騙されるキツネになるか、タヌキになるか、はたまたそのいずれかの餌食になるかの厳しい闘いの時代なのだろう。

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