2003年(平成15年)6月1日号

No.217

銀座一丁目新聞

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追悼録(132)

「戦友」はどんな軍歌か

 朝日新聞の「声」の欄を見て驚いた(5月26日)。「軍歌『戦友』を反戦歌と受け取る投書がいくつか掲載されました。が、この歌は本来、侵略戦争を肯定し、戦死を美化する戦意高揚の歌であったことを忘れてはならいと思います」とあった。投書者は79歳の方である。この歌は反戦歌でもなければ、侵略戦争を肯定した歌でもない。たしかに軍歌であるが、歌手、アイ・ジョージは『心の歌』と表現した。筆者は後世に残すべき名歌だと思っている。
 作詞したのは、京都市の小学校の先生であった真下飛泉である。当時27歳であった。日露戦争に従軍した義兄の体験を聞いて作ったという。真下は後に校長となり、市会議員を務めている(1925年)。
 作曲したのは、同じく京都市で小学校(中学校という説もある)の音楽の先生をしていた三善和気(みよしかずおき)である。当時25歳であった。三善は東京音楽学校を卒業せず教職についている。のちに職業ピアニストとなり、昭和の始め宝塚音楽歌劇学校の講師になっている。
 「戦友」は『学校及び家庭用言文一致叙事唱歌』シリーズの第3編として京都の五車楼書店から明治38年9月12日刊行された。つまり日露戦争が終わった後に作られた。戦場で失った友を悼む歌である。日露戦争は自衛の戦争である。どこから侵略戦争を肯定しているという批判が生まれるのかわからない。坂本圭太郎著「物語・軍歌史」(創思社出版)には「平明で簡易な俗語体の歌詞と哀調をおびた親しみやすい曲からなるこの『戦友』は、今までのどれにもみられなかった形である」と解説する。これまで一冊単位の小型歌本の形で「出征」、「露営」と出されたが、「出征」を児童に演じさせたところ感動を呼び以後唱歌シリーズとして次々に書きつづけることになった(八巻明彦著「軍歌歳時記」)。全シリーズ12編ある。「戦友」のあとは「負傷」「看護」「凱旋」「夕飯」「墓前」「慰問」「勲章」「実業」「村長」と続く。
 読売新聞文化部編「愛唱歌ものがたり」(岩波書店)にはアイ・ジョージがニューヨークのカーネギー・ホールで「戦友」を歌った事が紹介されている。この舞台で本領のラテン音楽ヤアメリカの歌も披露したのだが、どの曲よりも「戦友」に大きかった拍手を、ジョージは今も忘れないという。
 一番から十四番まである「戦友」の歌詞を口ずさんでみて欲しい。心の琴線にふれるものがあるはずである。しみじみ歌え「戦友」を・・・
 真下は1926年48歳で、三善は1963年83歳でそれぞれ死去した。それにしても明治は遠くになりにけりである。

(柳 路夫)

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