2001年(平成13年)4月10日号

No.140

銀座一丁目新聞

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花ある風景(54)

 並木 徹

 星野 哲郎さんの勲三等瑞宝章授賞を祝う会が開かれた(4月2日・東急キャピタルホテル)。出席者450人、着席のパーテーで、ゆっくり来賓の話が聞けてよかった。星野さんは亡くなった奥さんの写真をポケットに、48年間の歌の生活の思い出を語った。
同じ大正14年生まれで、東京高等商船卒というのでなんとなく親近感を持っていた。高等商船の星野さんの同級生には中学時代、大連の寄宿舎で生活を共にした親友がおり、また、星野さんと同じ中学から陸士に進んだ私と同期の友人もいる。
 更に、毎日新聞の名物記者 佐藤 健君が今年1月「演歌 艶歌 援歌 わたしの生き方星野哲郎」を出版したばかりである。この本のなかに星野さんの本質を表現する言葉が紹介されている。歌人であり、劇作家であり、演出家でもあった寺山 修司さん(故人)の指摘である。
 「星野哲郎を戦後詩人のベストセブンに加えるとなると異論を唱える人も少なくないだろう。(中略)だが、私にはやっぱり星野哲郎がいいような気がする。もちろん、星野哲郎には深い燃焼と言ったものはない。文字に印刷してみたところで、おそらく新しい感動など惹き起こさせたりはしないであろう。しかし、私は〈詩の底辺〉ということばを使うなら星野哲郎こそ最も重要な戦後詩人のひとりだと考えるのである。しかも、彼は活字を捨てて他人の肉体をメデアに選んだのだ」(紀伊国屋新書「戦後詩」より)
 「他人の肉体をメデアに選んだ」とはうまい。さすが寺山修司である。詩は肉体によって新たな生命が加えられる。いい詩であるほど輝きを増す。
 星野さんの作詩は4000曲をこえる。自ら選んだベストテンは函館の女(北島三郎)、みだれ髪(美空ひばり)、兄弟船(鳥羽一郎)、アンコ椿は恋の花(都はるみ)、三百六十五歩のマーチ(水前寺清子)、黄色いさくらんぼ(スリーキャッツ)、思い出さん今日は(島倉千代子)、柔道一代(村田英雄)、昔の名前で出ています(小林旭)、女の港(大月みや子)、雪椿(小林幸子)。番外は「男はつらいよ」(渥美清)である。
 大月みや子の例をあげる。代表作「女の港」(作曲 船村 徹)に出会ったのは下積生活19年目であった。「有線放送から口コミで広がっていく、そういう歌だよ、これは…」音楽プロデューサーの小西良太郎さんは、はやる大月の手綱を絞ったと、当時の秘話を語る(小西良太郎著「女たちの流行歌」産経新聞ニュースサービス発行より)。
 授賞した勲三等瑞宝がどれほど、価値があるか挨拶にたった佐藤健君が解説した。「伊勢神宮の内宮に天皇陛下とともに入ることのできる資格がある」という。その星野さんは毎日朝午前4時に起き、散歩しながら、道端に捨てられた空き缶を拾って集めるのを日課にしている。しかも毎日ひとつの詩を作ることをも己に義務づけている。
 座右の銘は「今日の山を全力でのぼる。先のことは考えない」である。大正生まれに栄光あれ・・・

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