2001年(平成13年)4月10日号

No.140

銀座一丁目新聞

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お耳を拝借(9)

-娘から見た「私」−

芹澤 かずこ

 

 「ママって本当に人使いが荒いわね」
 仕事を始めてからというもの以前のように庭の手入れがこまめにできない。庭といったところでマンションの専用庭で、そう広いというわけではない。にも関わらず、ちょっと油断をすると雑草が伸び放題になる。昭和天皇は「雑草という名の草はない」と、ひとつには国民になぞらえて言われたのかもしれないけれど、皇居のような広いお庭ならともかく、猫の額(ひたい)ほどの我が家の庭では、せっかくの芝生にタンポポなどがはびこっては、目の仇にせざるをえない。結婚している娘が遊びに来ると、待ってましたとばかり強引に草むしりを手伝わせるのでブツブツ言っている。

 「ママって昔から模様替えも好きよね」
 家具の移動はちっとも苦にならない。思い付くと時間に関係なく動かし始める。けれど、好きだからというだけではない。その時々の家族の年齢や構成によって変化させているに過ぎない。時には重宝したダイニングテーブルのセットも、大きめのソファーも、小人数になるとリビングでは無用になる。テーブルは脚を短くして座卓にし、キャスター付きの椅子はパソコン用に一つだけ残して処分。
 子どもたちが置いていった本棚と、ソファーを一箇所に集めて、パソコンの机を入れると専用の書斎が出来上る。

 「でも、あちこち変えたがるのは浮気性なんですってよ」
 28年連れ添った夫と死別して13年になる。部屋のつくりは多少自分流に変えて好きに使っているが、夫の写真はどの部屋にも飾ってあり、未だに結婚指輪も外さずにいる。多少、内外のタレントにお熱は上げるけれど、その私のどこが浮気性だと言うのだろう。

 「ママって見かけによらず大雑把よね」
 どうも周囲からは几帳面に思われているらしい。職に就くと必ず経理の仕事が回ってくる。簿記など習ったこともないのに、いつの間にか見よう見真似で伝票や帳簿などつけ、既成のソフトを使わず、パソコンに自己流の表をあれこれ作成して、今やいっぱしの経理担当。
 けれど家の家計簿はいっさいつけていない。誰がチェックするわけでもなく、出るものは結局出て行くのだから、予算を立てたり支出を記入したって始まらないし、銀行の通帖を見れば収支は歴然としている。外でも家でも同じ作業をしていたらストレスが溜まってしまうから、どこかでバランスを取るしかない。

 「それに結構大胆よね」
 それまで大事に使っていた物でも、よりいいものが見つかると、さっさと交換する。昔は夫や子供のことが優先して、思うようにいかなかったけれど、今や自分の天下。誰に遠慮もいらないし、せっかく欲しいものを見つけたのに、我慢している間に死んでしまうかもしれない。

 「欲求不満は寂しい証拠、せいぜい孫を連れて遊びに来てあげるわね」
 嫁に出しても娘は娘、互いに好き勝手が言えていい。孫の存在もまた格別なものである。でも、時にはこの恩着せがましい物言いが、うっとうしいこともある。
 「ひとり暮らし」イコール「寂しい身の上」という方程式を誰にでも勝手に当てはめないで欲しい。この、誰にも気を遣わずに、自分の好のむ生活が出来る“自由のありがたさ”は手にした者にしか分らないかもしれないけれど。

 まあ、いろいろと自己弁護を試みたけれど、さすが同性、見ているところはちゃんと見ていて、痛い所を衝いて来る。先行きのことを考えたら、少しは可愛げに尾をふることも必要かな、なんて弱気になることもあるけれど、今はとてもそんな気にはなれない。



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